果てまでの旅 公演情報 玉田企画「果てまでの旅」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    “リアル”よりも“笑い”を優先させた、男子中学生の冒険談
    “刹那”な笑いの連続。


    劇場内に入る直前に、個人的にちょっとした出来事があった。
    それが劇中の内容と、少しリンクしてて、暗い劇場で苦笑いしてしまった。

    (ネタバレへ)

    ネタバレBOX

    “中学生の修学旅行”っていう設定で、この作品が笑えることはすでに確約されていると言っていいだろう。
    なんたって、いい歳のオトナたちが中学生を演じるのだから。

    その期待値を、少しだけ上回って、全編笑った。
    とは言え、いい歳のオトナたちがリアルな中学生を演じているわけではなく、1つのイメージとしての中学生であり、設定である。
    “面白さ”を最優先して、中学生はその道具の1つにすぎない。

    いわゆる“スクールカースト”的に言うと、底辺かと思っていたら、それほどでもなく、可も不可もない中程度の層に彼らはいるようだ。リアルに最下層の中学生たちだったとしたら、まず、女子部屋に入ったら、部屋内はパニックになるだろう。
    卓球部とは言え、部活もやっているし、女子部屋に入ったとしても、露骨に嫌がられるわけでもない(面白い話したら、“いてもいい”提案までしてくれるんだから)。
    まあ、“卓球部”がイコール“ダサイ”のアイコンとなるのは、いささか昭和な選択だとは思うのだが(リストバンドはいいチョイスだと思うけど・笑)。

    男子生徒たちは、とにかく“自分大事”で、傷つきたくないから、本音は言わないし、相手にもできるだけ踏み込まない(女性に興味がない仲間とかにも無理に突っ込まないし)。
    うっかり言い過ぎたり、余計なことを言ったら「ギャグだよ」「ノリ悪いな」で避けようとする。避けているのは明らかなのだが、相手も下手に突っ込んで、自分に踏み込まれたくないので、その「ノリ」に乗っかる。

    「ノリ悪いな」は魔法の言葉である。相手も共犯に仕立てて、その場を逃れ、ノレない者を標的にする。
    そんな暗黙のルールである。彼らのように露骨に見え見えじゃないとしても、誰でも使っている。
    マンガを一人読んでいる仲間はそのルールに乗らない。

    女子生徒たちも同様だ。好きな男子のことがバレないように、しかし、“自分のほうが好きな相手のことをよく知っているぞ”アピールをしながら(相手にだけはわかるように配慮している、つもりで)、会話のバトルを繰り広げる。
    その暗黙のルールを破る仲間が、割って入るという図式は面白い。

    男子にも女子にも“ルールに乗らない者”がいる、という状況は、ホントのところ、ないのだろうと思う。
    そんなヤツは仲間にはなれないからだ。
    このへんが“リアル”ではないところだ。

    “面白さを最優先した”から、こうなったのだろう。
    だから、“刹那”な笑いが連続することで、実は微妙なバランスで立っているストーリーではないだろうか。
    下手するとコントの連作になりかねないところを、演劇に仕立てていたと言っていいかもしれない。

    だから、実際、(今の中学生は知らないが)彼らのような中学生たちが、修学旅行中に女子部屋に遊びに行くというのは、かなり敷居が高いはずだ。リアルなストーリーだったら、「部屋に行く」というシーンはないだろう。
    フライヤーの説明を読んで、かつ「果てまでの旅」というタイトルを見て、「これは女子部屋にたどり着けない、中学生の非劇だろう」と思っていた。

    しかし、彼らはためらいもあるものの、駆け引きらしい駆け引きもなく、部屋には簡単にたどり着いてしまう。
    この展開は、意外だった。

    行ってしまうことにより、よりバカバカしい展開になるのではあるが。
    時間差の突入は面白いし、追い詰められて、つい「池田のことは好きでも何でもない」と言ってしまう小池の台詞には全米が泣いた。
    これだけは小中学生“あるある”じゃないかな。

    女子生徒たちの関係が微妙な中に男子が突入するので、男子対女子の関係になるのは、中学生だから当然としても、それまでの微妙な女子間での関係を、“対男子”に対しても、もう少し反映させてもよかったのではないかとは思うのだが。

    さて、最初に書いた「劇場内に入る前の出来事」について触れなくてはならない。

    アトリエ春風舎という劇場には、トイレが2つある。いずれも個室で手前は「男性/女性兼用」、奥は「女性専用」だ。
    時と場合によってはフレキシブルに使用することも、あった。絶対にしないときもある。
    で、その日は、フレキシブルな日だった。
    手前の「兼用トイレ」の前に並んでたが、係りの人が確認してから、「こちらをどうぞ」と奥の女性専用のトイレを示した。
    ほとんどの観客が着席していて、もうこれから入る人は当分いないということでの判断だと思う。
    そして、奥の女性用に入り、用をたして出てくると、ドアの外には女性がいた。

    明らかに不審者を見る目つきで、あからさまにドアの「女性」のマークをこれ見よがしに確認して、こちらをキッと見た。
    「い、いえ、係りの人がこちらを使えと…」と喉まで出たが、言うタイミングを逸してしまった。
    悪いことに、「こちらをどうぞ」と言った係りの人の姿もない。

    女性が出てくるのをトイレの外で待つというのも逆にアレなので、とにかく「きちんと説明したほうがよかったなあ」という後悔とともに座席に座った。

    公演が始まって、例のシーンである。
    男子生徒が非常にマズいモノを持っていることを、女子生徒に見つかってしまうのだ。
    彼らは、自分たちの部屋に這々の体で戻ってから、「これは、きちんと説明したほうがいいんじゃないのか」と言うのだ。

    あれ? さっきの出来事と同じだ。

    「先生に告げ口され、内申書が悪くなって、いい高校に行けなくなって……」と、仲間をなじるシーンがある。
    「そうか、まいったなあ、トイレのことをきちんと言い訳しないと、いい高校に行けなくなってしまう……」と、私も思った。
    このシーンは、思わず苦笑いをしてしまった。

    「なかなか本当のことを言えない」という、日本人的な(特に中学生の異性に対する感情は)感覚は、この公演の翌日観た、キ上の空論『東京虹子、7つの後悔』とリンクしていて不思議な感覚を覚えた。
    これについては、後ほど感想を書こうと思う。

    妙にオドオド感が似合う大山雄史さんと、視線の配り方がなかなかだった伊藤毅さんの会話が楽しい。
    “間”の感じも笑いを上手く生んでいた。
    「オレ」の変なイントネーションの由かほるさんの存在が面白かった。
    そして、由かほるさんの、女子部屋でのキレ方が鋭くて、こんな風に言われたら、絶対にシュンとなるだろうなと。

    鮎川桃果さんと植田ゆう希さんの、台詞バトルには笑った。相手の表情を確認している(自分の発言が相手にどんなダメージを与えているのか、のような)ような視線の送り方がいい。
    矢崎を演じた工藤洋崇さんが(見た目は、どう見ても元ヤンのおっさんなのに・笑)、実は一番モテモテなのかと思ったら腹が立った(笑)。

    どうでもいいことだけど、拾った女子のタオルは濡れていたほうが、さらに笑いが広がったように思うのだが。

    役者さんたちの、こうした細かい演技や表情を楽しむのは、舞台との距離が近い小劇場ならではのものだろう。

    ただ、観客の反応(笑いとかね)を、直に感じてしまっている役者さんの(心の)リアクションまで見えてしまうのだが(笑)。

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    2015/09/08 08:00

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