満足度★★★★
幸せの果てに連れていってくれる演劇
この作品、もはや演劇ではない。じゃあ何なんだ。
演劇なんだけど、ただものではない。ただものではない
ところにヒロイン・ヒーローショーまでぶっ込んでいる。
悪ばかりがのさばり、正義なんてこれっぽっちも
僕たちを救ってくれないこのご時世。ヒロイン・
ヒーローなんてテレビの中のただの気休めにしかならない。
だが彼女・彼らには他に大事な存在価値がある。
「現実を忘れさせてくれる」存在。「束の間の現実逃避を
手伝ってくれる」存在。このお芝居自体が、他の
どんな演劇やテレビ・映画よりも、壮大かつ
僕たちに凄く身近で、大人が使うような難しい単語も
全く登場せず、まるで自分自身の隠れた別の姿を見ているような
錯覚を与えてくれる「現実を忘れさせてくれる」存在なのだ。
僕たちの束の間の現実逃避を歌と笑いで手伝ってくれる。
季節はうだるような暑さの夏。舞台上では2つの物語が
文字通り同時進行している。主人公・オオモリセイコ(根本宗子)の
部屋で繰り広げられるお話と、彼女のバイト先のコンビニで
展開されるお話
セイコは、彼氏・ドウジョウジマモル(鳥肌実)の浮気が
心配で心配で、とてもバイトに行ける状態ではない。
マモルが女子高生・ホシノイズミ(城川もね)と楽しげな時間を
過ごしていると勝手な妄想を膨らまし、自らを苦しめている。
妄想の中で、大森靖子(本人が本人役で登場)にギターの弾き語りで
励ましてもらったり、相談に乗ってもらったりしているが、
発狂寸前。次から次へと繰り出される被害妄想と、セイコと靖子の
やりとりが観客の爆笑を誘う。靖子が連れてきた生活保護の女
(梨木智香)が、セイコの胸騒ぎを増大させ、笑いが加速していく。
さらに靖子の歌が、人を好きでいる事の幸せと、それとは裏腹に
不安でどうしようもなく切羽詰ったセイコの感情に見事に
マッチしていて、とても切ない。
その頃、コンビニでは、私生活で諸々問題を抱えた
今岡(大竹沙絵子)、野崎(あやか)、宇佐美(相楽樹)が
それらを忘れて一念発起し、大きな仕事に取り掛かっていた。
彼女らの悩みや仕事のやり様が大袈裟すぎてめちゃくちゃ笑える。
セイコを含め彼女たちのオーバーな心配っぷり・取り乱しっぷりが
自分のようないかにも小市民らしくて共感が持てた。
小市民万歳。
セイコの夢想の中の1シーン。マモルがイズミを監禁している。
けど、奇妙な事に彼女は彼をどこかヒーローのように
見ていて、彼も彼女をヒロインのように扱う。加害者・被害者という
現実を忘れて。2人の会話はいかにも幸せそうな雰囲気を醸し出す。
2人を見ていると、現実とは見えない監獄のようなものかもしれないと
思えてきた。通常は、囚われの身でありながらその事を忘れ享楽に
ふける者と、そこから必死に逃げようとする者とに分かれる。
セイコの場合はどちらでもない。自分の身を縛っている縄を自ら
もっときつく締めているようだ。セイコを苦しめるマモルの言動と、
そこから導かれる邪推。今岡たちを困らせるリアル。
今身の周りにある一見関係のない鶴瓶の麦茶やテレビでよく
見かける化粧品のCM、時給650円のバイト代、最高気温を
更新した夏の蒸し暑さ、800円のアイス、
ポカリにアクエリアスに東幹久さえも一々腹立たしく感じられる。
そんなものに身も心も縛られ身動きがとれずに、気持ちがすり
減っていく。そんな時こそ、ヒロイン・ヒーローの登場だ。やっと
出た。どうせなら、赤の他人より、自分がヒロイン・ヒーローに
なっちゃった方が断然現実から離れられ、しかも格段に楽しく
幸せだ。僕ら小市民を代表して、セイコが今岡たちが
ヒロインになっちゃいました。幸福そうな彼女らを見ていると
こちらまでハッピーな気持ちになってきた。
言動や心持ちだけでなく、セイコに至っては衣装までもが
まさしくヒロインになった。欲深い拙者は、今岡たちにも
ヒロインの衣装を着させてほしかったなあ。
まあ、でも根本さんの役を越えて、素の幸せそうな顔を見ると
その欲を引っ込める事にした。
スタッフいじりは、予定調和じゃない方が、そしてまだ経験の
浅いスタッフの方が、より素の部分が出て面白かったのでは?と
突っ込みたかったのも正直なところ。
そしてこの舞台の目玉の大森靖子の音楽について。
彼女は「辛い現実をちょっと浮かせてマシにするのが音楽の役割だ」
(パンフレットより抜粋)と語っている。劇中の彼女の歌声は、
根本さん脚本・演出のこの舞台で、より一層その役割を果たす
事に成功している。
「みんなを幸せの果てに連れていくにはまず私が
行かなきゃ」(公演の挨拶より抜粋)という根本さんの心意気と
試みが見事に結実した作品であった。