ゆうれいを踏んだ 公演情報 突劇金魚「ゆうれいを踏んだ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    2回+αの突劇。一本通るもの有り
    昨年の「漏れて100年」(同じこまばアゴラ)で興味が湧き、DVD「富豪タイフーン」を購入して観た。そして今回、当り前だが一本通じる何かがあって、それが自分に無いものなので、見えない水底を探るようなふわっとした気分である。一見突飛なキワモノな設定と人物が、小細工を弄しない舞台上で、目の前に生きてそこに居るという奇妙な感覚が、面白い。役者の存在が大きい。手づくり感溢れる?装置や道具も昨年観たのに共通するが、それしきで壊れない世界がある。最初にみえてなかったものが後から付け加わって来るが、後づけ(平田オリザの言う後出しジャンケン)の語り方ではない(後付け型の好例は拙文)。
    別の言い方で言えば、戯曲の<謎かけ>の仕方が特徴的だ。謎は多いが「この疑問を解きたい」という欲求がさほど喚起されない。謎(変数)を解くための方程式が謎の数に及ばないので、解に至らない(変数がxy二つなら方程式も二つ必要)。謎は謎のまま行くのだな、と序盤で悟る。もっとも、説明が少なすぎれば観客の関心は薄まる。この話は確実にどこかへ向かっていると感じるに足る程度のヒントは残しつつ、その方向を限定しない書き方、タッチである。だから前のめりな観劇態度にならないのだが、それでも見続けてしまう。謎の代表選手は登場人物らで、主人公も例外でない。他の怪人らは元より、主人公にさえ感情移入しづらい事は、話の行方への関心を減らしているがそれはデメリットでなく、持ち味である。
    登場するキワモノな人々は、マジョリティを横目で見ながら自分らの生き場所を探しているマイノリティ。そういう人達に遭遇するべく運命づけられたかような主人公の「不条理」でもあるが、諸々省略しながらも「出会い」の描き方は本質を穿っている。彼らのキワモノさを高めているのは振る舞いであるが、行為の本質は本音の吐露だ(対話が重ねられる毎に本質が顕われる見事な台詞だ)。振る舞いの奇異さゆえに感情移入を丁重に拒むが、実は身につまされるものがある。

    ネタバレBOX

    祖母と二人で暮らす主人公の蔓子(つるこ)は、ある時ゆうれいを踏んでしまい(この本人の台詞以外に、状況を知る材料は一切ない)、その日以来頭に芽が出てやがて桜の木をはやしてしまう(この期間についての説明も一切ない)。その期間は蔓子にとっては「自分で何とかしようとした」期間だったが、祖母(お婆)によれば、銀行への就職が目前、お婆が孫自慢できる日も目前だったのにもかかわらず(半狂乱)「引きこもってしまった」期間。
    すったもんだあって蔓子は追われるように家を飛び出す。花まで付けた桜を頭に乗っけた異形の蔓子は、エレファントマンのような行く末が待ち受けているかと思いきや、内面的「異形」な者たちとの遭遇により蔓子の「桜を頂く」奇怪さは相対化されていく。「まずそれだろ」と端から突っ込みたくなる所を、「それはとりあえず置いて」別の話が進行する世界というのは、関西ならではのセンスかも知れないが、ある種のユートピアである。際立つのは彼女に出会った彼らのほうだ。蔓子と出会い、一時は愛を育んだ青年が彼女の足跡を追うが、前段で描かれた個々の場面が、別の視点で捉え直されるという面白さもある。「追う青年」はと言えば、カポーティの有名な「ある日居なくなった女」を、消えてもなおそういう彼女を理解し愛している男の視線のように、蔓子を劇的なドラマの主人公に仕立てる。ただ、蔓子のほうは別の場面では登場して、特段ドラマティックでもない心情を吐露して身も蓋もない。
    その他の人々。遠縁を頼って淡路島を訪ね、異形の依存関係にある若い兄妹の家へ居候する事になる。兄妹の間に蔓子が入る事で力学が変化し、蔓子が状況を主導できる立場になる。兄妹のやりとりはどちらが異常なのか判らなくなるスリリングさがあった。蔓子と職場の同僚になった女は蔓子を劇団員に誘い入れるが、稽古場の光景は急降下にイタい状況。ある種のカリカチュアかも知れないが、蔓子は真剣にここで頑張ったという後日談が証言される(イタさの面では『嫌われ松子』の匂いも微かに)。最後の「その他の人」であるお婆は、唯一「頭の桜」による社会的な損失を認識する人。目の悪いお婆の元に素性を隠して戻れば、お婆は占い師になっていた。。
    もう「一人」の人物は、ゆうれい。当初から舞台上のどこかに出たり消えたりする。彼の関心は蔓子にはなく、頭の桜の木にあって、頭にジョーロで水をやり、大事に育て、満足げに眺めている。もみあって桜の枝を折られた時には物凄い形相で叫んでいた。人間側の事情などお構い無しで、人間らの物語に関わらない。蔓子にはこのゆうれいが見えているようだが、他の人に見えるのかどうかは判らないしその事が焦点化しない。この不思議な位置は最後まで一貫している。これも大きな「謎」だが、観客は「まずそれだろ」と突っ込むことなく謎を謎のままに許した「共犯者」とさせられる。その事はなぜか快い。

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    2015/04/28 10:56

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