LOST GARDEN 公演情報 FABRICA(企画・製作ROBOT)「LOST GARDEN」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    「私事」の世界(ごめんなさい、書き直しです)
    本広監督のアフタートークを聞かなければよかったと、後悔した。監督は、高井浩子さんとのトークで、「今日は、東京タンバリンの方がたくさん観に来てくれている回。ありがとうございます」とか、「昨日は、鴻上さんがみえて、緊張した。あこがれていた人だったので。昨日は他にもたくさん演出家の方々がいらっしゃった」とか、そういう、「私」を全開にしたトークを展開。僕は、これが、苦手だからだ。

    ネタバレBOX

    「私」を全開にされると、作品も、「私」なものに思えてくる。もちろん、人間、なにかをする動機というのは、多かれ少なかれ、「私事」に左右されるものだと思うが、それでも、一応、こちらは3500円という大金を払って観にきているのだ。建前だけでも、「公」のものを出して欲しい。少なくとも、「私」の部分は、恥ずかしげに出してほしい、と思ってしまう。

    作品は、舞台の裏側を描く、バックステージもの。それこそ、「私事」の世界の極みともいえるジャンルだ。本来なら、観客には見せない、見せてはいけない部分を全面展開するのだから。よって、バックステージものには、他のジャンル以上に、私事を越える普遍性みたいなものが最初から要求される。

    ところが、これが、どこまでも「私事」の域を出ない。さらに群像劇というスタイルによって、各人同士、つながらない、とってもミクロな私事が、それぞれかかわり合うこともなく、標本のように、並べられるだけ、ということになる。劇中劇と、舞台裏という二つの物語の同時進行という形式によって、ただでさえ、それぞれの物語の牽引力が弱っているのに、それを支える人間関係が、ミクロな私事の標本では、舞台に魅力は生まれない。

    僕らは、舞台に没頭することを、許されない。交わらない群像劇は、全てを、フラット化する。人の死を悲しむのも、自分を売り込むのも、同列だ。それはリアルな世界かもしれない。でも、舞台に引きつけられるときの求心力は、失われる。この舞台を楽しむには、僕らは、能動的に、自分の観方を捜さなければならない。言い方を換えれば、自由度が高いということになるだろうけど、でも、ここで、監督の「私事」が顔をだす。この作品は、「監督」の作品だ、という、強烈な意識に貫かれているのである。だから僕らが見つけ出す、「自分の観方」なるものは、監督が用意したものの範囲を出ることを許されない。

    「モノローグはいらない」とか、「舞台の外で事件が起こっているのが面白い」とか、監督は、舞台を外から観る観客の目線を、仕込むことで、観客まで、自分の私に取り込もうとするかまえをみせる(演出家が劇中劇を観るのは、無駄に客席だ)。これでは、監督の私事として作られた作品に付き合うつもりの、内輪の人にしか、この作品は楽しめないことになる、と思う。

    俳優さんたちは魅力があるし、頑張っていたと思うけれど、それも多分、監督の想定内。全てを取り込む本広世界は、僕の「私事」を許してくれなくて、それでいて、身を委ねる流れを提示してくれるわけでもなくて。フラットな、現代的な、枠におさまったこじんまりした、個人的な世界を、僕は楽しめなかった。

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    2008/09/18 17:06

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  • ボム木偶様

    「LOST GARDEN」制作担当関根と申します。
    率直なご意見ありがとうございます。
    今後もがんばって参りますので、是非また機会がありましたら
    FABRICAにご来場頂きたいと思います。

    2008/09/24 18:53

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