『タヌキさんがやって来た。』/『空中庭園』 公演情報 ユニークポイント/異魂「『タヌキさんがやって来た。』/『空中庭園』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    SDFとホームレス

     たぬきさんとは、今作に登場するホームレスの仇名である。日本のホームレスに対応するのは、パリではSDFであろう。sans domicile fixeの略である。

    ネタバレBOX

    直訳すれば住所不定だ。従って無職では無い場合も結構多い。路上でパフォーマンスをやったり演奏をしたりという人々、メトロ構内、車内で芸を披露する人々などの多くもSDFである。自分もフランスで生活をしていた時に、彼らの避寒して来たモンペリエで数人のSDFとは仲が良かったし、仲良しとまではいかなくとも十数人程度のSDFとは顔見知りであったので、様々な事情を聞いている。
     パリで公演したということであるが、社会階層の分化がフランスは日本の比ではないし、日本のようにウェットな感覚ではなく、世間はドライでアイロニカルである。
     一方、日本より遥かに様式の生きている世界であり、社交儀礼やマナーが生きづいた社会でもあるので、逆説的に繊細な人情が、ユマニスムの伝統の下に生きて働く社会でもある。「タヌキさんがやってきた」については、以上のような差異から、ラストの意味合いが多いに違ってくるような気がする。フランスでの受けの方が良いだろうと想像するのである。
     メルケル首相訪日に関しても彼女はユマニスムの伝統に則った人間中心の論理で物事を判断しその普遍性に於いて物を言っていた。対する安倍の何と情けないこと。アメリカの植民地宰相としてすら恥ずべき御託を並べたに過ぎない。無論、その基本は嘘である。メルケル首相は儀礼上、其処までは言わないが、明らかに距離を置いていた。人間として当然のことである。
    ことほどさようにヨーロッパと日本は違う。日本にもキチンとしたことを言う民衆はまだ残っているようだが、力が無い。それに引き換え下司そのものである自民党議員とおもねる庶会派、諸政党。屑そのものだ。主権者たる国民を蔑ろにして何が議員か? 議員の権威は国民の代表である場合のみ、その意味を持つ。然るにその真実の僅かな一端がばらされるだけで、支持率が落ちるような好い加減な首相が諮問機関で論議したアリバイによって何らの権威も権利もないのに、閣議決定に持ち込み、詭弁を弄して法制化を目論むような「政治」状況にあって、我らが採り得る行動。それは、何か? 諸君は自らの頭を使って考えよ。これが唯一の解答である。
    ところで、たぬきさんを演じた古市 裕貴は、良い味を出していた。
    「空中庭園」
     サーカス芸人の女(空中ブランコ乗り)が出番待ちをしている所へ男が一人訪ねてくるが、矢鱈、理屈が多い。学者タイプの朴念仁で、余り融通が利かない。その性格を表す為に、わざと噛んでいるいるのなら、大したものなのだが、恐らくそうではあるまい。上演中故、詳細は明かさないが、ラスト己の運命が分かっていながら、ステージに向かう女(実は妹)の姿には、ぐっとくるものがある。その意味では、2作に共通したテーマで纏めている。

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    2015/03/11 23:16

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