満足度★★★★
現代版プロレタリア演劇が成り立つ時代の怖さ
現代の非正規労働者や格差拡大を、現実の若者に寄り添いながらストイックに描く。「貧乏」が人間の尊厳を脅かしていること、それに気づかないように、あるいは気づいても牙を抜かれた状態へと飼いならされた日本人に対する創り手の強い危機感、警戒が、直球の表現へと繋がっている。
その直球が、とにかく古い。古臭い。結果的に現代版に叩き直したプロレタリア演劇のそれである。労働と貧困、格差、連帯。芸術と変革。古くは平沢計七、くだって宮本研、坂手洋二の名までもが脳裏をよぎる。
だが、そんな化石化したプロレタリアふう演劇で描くことがおそらく妥当だとしか思えない現実社会にこそ問題があるのだ。貧困や、社会不安が、今まさに符号してしまっているからである。現代社会への警鐘は、使い古された手法で若者たちの窮状と苦悩や葛藤を描くことで、歴史の記憶という大きな枠で見直した時に戦慄するほど過去に合致している。
プロレタリアふうに描くことが、歴史が繰り返し、何も解決していない、さらに過去に増して取り返しのつかない規模に膨張し、破滅へ突き進んでいる社会の状態であることを気づかせるための表現の方法であるとしたら、的確な手段かもしれない。