砂の骨 公演情報 TRASHMASTERS「砂の骨」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    現代版プロレタリア演劇が成り立つ時代の怖さ
    現代の非正規労働者や格差拡大を、現実の若者に寄り添いながらストイックに描く。「貧乏」が人間の尊厳を脅かしていること、それに気づかないように、あるいは気づいても牙を抜かれた状態へと飼いならされた日本人に対する創り手の強い危機感、警戒が、直球の表現へと繋がっている。

    その直球が、とにかく古い。古臭い。結果的に現代版に叩き直したプロレタリア演劇のそれである。労働と貧困、格差、連帯。芸術と変革。古くは平沢計七、くだって宮本研、坂手洋二の名までもが脳裏をよぎる。

    だが、そんな化石化したプロレタリアふう演劇で描くことがおそらく妥当だとしか思えない現実社会にこそ問題があるのだ。貧困や、社会不安が、今まさに符号してしまっているからである。現代社会への警鐘は、使い古された手法で若者たちの窮状と苦悩や葛藤を描くことで、歴史の記憶という大きな枠で見直した時に戦慄するほど過去に合致している。

    プロレタリアふうに描くことが、歴史が繰り返し、何も解決していない、さらに過去に増して取り返しのつかない規模に膨張し、破滅へ突き進んでいる社会の状態であることを気づかせるための表現の方法であるとしたら、的確な手段かもしれない。

    ネタバレBOX

    震災後の日本人の価値観や、社会に対する偽善や欺瞞、政治に対する漠然とした(もはや明確になりつつあるが)不安を、具体的な例や数値を提示しているが、多少情報量が多すぎて渋滞を起こしている。さらに総じてそれぞれの挿話が分かりやすく、極めて予見しやすいため、二言三言で展開が読めてしまうのは、込み入った情報が錯綜する舞台全体を把握するには助かるが、消化不良。

    結論が観客の想像に頼る話が多く、どれも結果的に予定調和な結末を期待させるため、結末が弱い。非正規雇用を守る組合の展望、震災婚した姉の離婚回避などなど。

    さらにこの芝居唯一の国家への直接的攻撃である誘拐事件が曖昧な結末を迎えておきながら、敵対した上司の労働組合加入というこれまたぼんやりした挿話で象徴的に幕を閉じる。最後の5分から10分は予想の域を出ず、極めて退屈だった。そこまでエネルギーで押し切ってきただけに拍子抜けして残念。もはや2時間40分休憩なしなんだから、あと20分追加して描き切って欲しかった。3時間でも大して文句は出まい。かえって潔い。

    ところで、最近気になるのでひと言。社会問題を扱っているからと言って、この芝居を「リアルだ」と評している者がいたら、もう一度演劇とは何か最初から考え直した方が良い。

    演劇はこの芝居でも語っているが、「表現」である。現実にこんなにはっきりと自分の置かれた状況を「嘆く」ことの出来る若者は稀だし、「行動」や「言葉」に出来る若者もそう多くはいない。さらに「詩を詠む」と言って最終的にメガホンで絶叫する「表現」になるまで、常に朗唱している若者。骨がぶつかり、軋み、砕け落ちるような深い空虚を現すかのような空から落ちる砂。現実味のないこれらは「表現」であり、象徴だ。この芝居はことばで喋る、叫ぶ、怒ることをひとつの「表現」として用い、観客に訴えかける形式を持っている。決してドキュメンタリーやノンフィクションといったリアリズムでは生み出せない動揺を観客に抱かせることが、演劇の持つ本質である。それを「想像力」と呼ぶのだが、観客の想像力を引き出すためには、提示しすぎても、観客の想像力を過信し頼りすぎても表現とは呼べない。この芝居のように、訴えたいこと、叫びたいことが山ほどある時に、創り手は肝に命じていなければならない。

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    2015/03/10 00:50

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