完熟リチャード三世 公演情報 柿喰う客「完熟リチャード三世」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    久々の中屋敷観劇 演出の洗練その一方
    女体Sシリーズを第1弾(001)以来久々に観劇した。その間に柿喰う客公演と外部演出合せて3本ほど観た中屋敷氏演出の特色は、演劇の古典に「遊ぶ」イメージだ。知るほどに「宝庫」である演劇の世界に漬かり、コラージュしたりオマージュを込めたり、純粋にはしゃぐ演劇青年らしさが舞台に横溢。リズミカルな音楽で動きをまとめたり、お水の店員風情のキャラを多用。しかし私はそれらから「埋めてる」痕跡以上の何かが見えて来なかった。遊んでる事の恥じらいなのか元来の資質なのか、心情を深く追っかける事をせず、所詮芝居です、すみません。それでよければどうぞ。ギャグ的要素の強い細かな演出が、ある一定のテンポの中に収まり飽きないように並べられる「隙のなさ」が、どの方向を向いてなされているのかを私は見ようとするのだが、それが見えない、見せないのか、無いのか・・。原典があってそれを並べたり組合せたりも、アートとしての革新を狙ってるというより、「現代的」な会話のテンポ(「隙」を作らない意味での)を演劇で展開した、止り。つまりは私の好みではなかったという事なのだが、それでも、コラージュの才能を持つ若き演出家がその後どういう軌跡を辿るか気になり、時々見てしまう。

    ネタバレBOX

    さて今回。今までの印象を覆しはしないが、演出力の進歩は格段に思われた。ポイント三つ。まず何といっても選りすぐりの「女体」(容姿的バランスと技術を備えた女優。全員の取り合わせも含めて)、簡潔でテンポ感ある台詞(訳にも多々遊びがあった)、華麗な照明(+装置)。役者のほうは台詞の一本調子な(聞いててつらい)がなりは比較的少なく、展開はめまぐるしいが見せる所は見せる舞台となっていた。
    チェス盤を模した演技エリア(3〜40㎝程上げてある)に七女優は出ずっぱりだが、狭い感じがしない。天井から低めに吊られた照明群と、左右の真横と下方からの照明、終盤で亡霊(幻想)に当てられるフロントから舞台奥へ向いた照明とによって、舞台空間の闇と光が自在に変転して美しい(近年普及してきたLEDを多用)。
    女優らも黒い衣裳をまとって美しく、リチャード以外は3、4役を兼ねる。女優のみで作る「女体シェイクスピア」の宿命として、男役を兼任すると役のイメージが外見との関係で記憶に定着しない。その点を飲み込んだ上で最終的にドラマが見えて来るかどうかだが、リチャードの悪の所業の始点と終点が明確になる作りでしっかりドラマを味わった感が残った。間のやりとりは原作を知らない者にはきっちりとは入って来ないが上演1時間半の中で強調点が絞られ、そこでは役者の多様な活躍が入れ替わり立ち代わりスポットを浴びる形で、観客を楽しませる。新たな登場人物が出ると「新キャラです」と注釈が挿入されるなど、スピード感あってこその演出も。
    印象深かったのは、容姿醜き主人公リチャードを歪な姿勢で表現させた演出(以前観た他のリチャードは台詞の中で醜さが語られるが外見は普通)。この「具体性」が醜さゆえの悪行という一面に説得力を持たせる。醜さによって差別されなければ、周囲の愛を浴びていれば、恐らくこういう人物は生まれまいからだ。世の中様々な差別があるが「被差別者」のカテゴリーに属していながら容姿の良さで好感を獲得し、物語の主人公として共感を得る地位に上ることも出来る。だが醜男醜女は逆にありもしない嫌疑や恨み、嫌悪を被る、究極の被差別カテゴリーである。このテーマは芝居になりにくい。シェイクスピアは希有にもドラマにし、「悪行」を中心軸にしながらその背景としてのビビッドなテーマを込めた。リチャードを必ずしも断罪しない原作者の戯曲上の意図がしっかり踏まえられたゆえに、柿喰う客の舞台の陰影が、華麗な照明とあいまって、今までになく濃く感じられたものだ。

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    2015/02/17 13:13

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