祝/弔[祝─駅前劇場側]15日本日千秋楽 公演情報 クロカミショウネン18 (2012年に解散致しました。応援して下さった方々、本当にありがとうございました。)「祝/弔[祝─駅前劇場側]15日本日千秋楽」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    見えない綱の向こう側。
    野坂実の魅力は、曲乗りのような話の転がし方だ。
    約束された最後を感じさせず、ギリギリの綱渡りに目を見張る。
    それを見出せたのが、『NINPU妊xxx婦SANJO』であった。

    今回思うのは、見えない綱渡りをいかに楽しむのか、である。
    二劇場同時公演で登場人物が行き来するという状況下において、
    「祝」で行為A、「弔」で行為Bが行われたとする。
    A・Bともにそれぞれの主体性を帯びることもあろうが、
    AがBのために行われたり、その逆のことが行われることもあるだろう。
    結果として、多少の粗が見えてしまったりもする。
    粗が見えることにより、逆に綱渡りの安全さ(結末)が見えたりもして。
    誤った推論かもしれないが、一つの作品としてのクオリティは、
    結果として低くなっているのではないか、と残念に思うのである。
    端的に言えば、ちょっと強引な設定が多かったかな、と。

    ああ。長々と書いてしまった。
    要するに二劇場同時公演は、お祭り的要素が強い。
    「祝」から「弔」を想像させるのは、興行的に言えば魅力はあるが、
    作品的な魅力に直結するとは限らないのではないか。
    それは、野坂実の力量の問題ではなく、興行スタイルの問題だ。
    一つの問題として提起したい。
    (そして、「弔」が見たくなったことも付け加えておきたい。
     やっぱり、いろいろ気になるじゃんか)

    ネガティブな印象ばかり書いているが、作品として納得はできている。
    納得できたのは、観客の感情を一身に集める人間がいたからだ。
    「祝」の巧さは、この人のキャラクタでカバーしている点にある。
    脚本的に巻き込まれ役として、上手く味付けしているだけでなく、
    それを素材のよさが、さらに引き立てているように思えた。
    それが誰なのかは、ネタバレにて。

    ネタバレBOX

    場をうまい具合に成立させた、関根信一。
    中性的で稀有な存在感は、観客の注目を集めやすかったと思う。
    割と強引な設定も、ごまかしきれる強さも感服した。
    「祝」は彼/彼女のためにあった。

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    2008/09/10 01:11

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