痕跡 〈あとあと〉 公演情報 KAKUTA「痕跡 〈あとあと〉」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    鳥肌モノの舞台
    そして、「生(身)の人間」が舞台の上にいた。

    ネタバレBOX

    KAKUTAは具象的なセットを組んで、ガッツリ芝居を見せるという印象がある。
    なので、円形劇場でどう見せるのかと思っていた。

    不法投棄で汚れている川があるような気配と手すり、そして、机だけでシンプルにKAKUTAの芝居をガッツリ見せてくれた。
    たいてい円形劇場や舞台の周囲を囲んで(コの字型も含め)見せる場合は、どちらかを、やや正面としていることが多いのだが、この舞台は違った。
    机で向かい合うシーンも、いつの間にか机を回していて、角度を変えてみたりして、全方向に見せてくれるので、囲み型にありがちな観劇のストレスはない。
    円形劇場でしか味わえない感覚を見事に演出していた。

    その結果、さらにぐっと物語へ、登場人物たちへ集中できたのではないだろうか。

    タイトルの『痕跡』は「こんせき」ではなく、「あとあと」と読ませる。
    どちらも「あと」なのだが、その意味が少しだけ違う。

    「痕」は「傷痕」の「あと」だし、「跡」は「遺跡」や「軌跡」のように、何かが起こった「あと」である。
    まさにそういうストーリーだった。

    ストーリーの展開で先に進むというところもあるのだが、それよりも「役者」で見せる舞台だったように思う。

    「生(身)の人間」が舞台の上にいた。

    何度も鳥肌が立ちそうになり、感情を揺さぶられるシーンがあった。
    それは、つまり「“生(身)の人間”が舞台の上にいた」からではないか。
    演出が巧みで、かかわりのなさそうないつくかのシーンが有機的につながっていくストーリーなのだが、そうしたつながりは当然役者さんたちは知っているのだが、そうとは感じさせない「その時間の中に生きている人」になり切っていたからだと思う。
    そうした、彼らの姿は、単に今、眼前にいる「役」だけのものではなく、背景を観客に感じさせるから、「人」が見えてくるのだ。


    母役の斉藤とも子さんが、とにかく素晴らしい。
    何年も子どもを捜し回っているという姿が、痛々しいが、同時に強さも感じさせる。
    だから、ラスト、自転車を放り投げるようにして駆けだしていく姿には涙を禁じ得なかった。

    松村武さんの地に足が付いた感じの、泥臭さがある人間描写がさすがにうまい。

    異儀田夏葉さんの、前半の、明るさと(観ている側は、何かがあるな、と勝手に想像するのだが、それを寄せ付けないような自然さがいい)、後半の決心の姿が素晴らしい。彼女の目にためる涙が(流さないところがうますぎる)、事態の衝撃と、それへ対処する強さを前半の明るさからラストまで一貫して見せてくれた。

    韓国料理店の店長を演じた大神拓哉さんの、あとから恐くなる感もいい。
    ほかの役者さんたちもみんなうまい。
    無駄が一切ない。

    この作品、再演したらまた絶対に観ると思う。
    そのときに、円形劇場がないかもしれないと思うと、とても悲しい。

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    2015/01/07 17:18

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