11月企画公演 節分・鉄輪 公演情報 国立劇場「11月企画公演 節分・鉄輪」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    11月の企画公演のテーマは「鬼の世界」
    狂言も能も「鬼」が出てくる話だった。

    ネタバレBOX

    この日は、「おはなし」があった。
    歌人の馬場あき子さんによる、舞台内容の解説と鬼の話。
    その内容がとても良かったのだ。

    「鬼とはいったい何であったのか」という話になったのだが、その話と今回の舞台がうまく
    リンクしていた。
    また、「鬼」という漢字についても、なるほどと思えた。

    「鬼」とはそもそもは先祖であって、子孫に「福」を持って会いにきていた。しかしいつからか、「悪い」というイメージが付けられ、持って来た「福」は「内」に、「鬼」は「外」に、となったわけだ。
    これは狂言の『節分』に重なる。

    また、鬼は「境」に現れる。
    川のこちらとあちらの境や、時間の境など。
    だから、1年の境の「節分」に鬼は現れる(かつて節分は大晦日だった)。

    「鬼」の漢字にはもともとは「角」はなかった。
    角のない「鬼」の漢字は、鬼頭を被った子どもが座った姿であり、手には法具を持っている。
    鬼面は「誰でもないので」、先祖の霊が降りてくる。つまり、イタコのような役割をしていたのが「鬼(角のない)」の漢字の意味だった。
    それがいつからか、角が付いて悪い意味も付けられた。
    この話は、能の『鉄輪』にリンクしてくる。

    自分を捨てた夫を恨み、徐々に「角のある鬼」になる妻。
    顔に血が上り、角が生えかかってくるのだ。

    というように、「おはなし」がかなり良かった。

    狂言の『節分』も能の『鉄輪』も、恐いのは「女」である。
    『節分』では、鬼は女に騙され、宝を取られて「鬼は外」と追い出される。
    『鉄輪』では、自分を捨て別の女と一緒になった元夫を恨んで出てくる。
    顔には「生成(なまなり)」という、鬼になる一歩手前の面を付けている。
    頭に血が上っているので、顔半分は赤く、角が出かかっている。しかし、まだ理性が少しだけ残っているので、額のあたりは白いのだ。

    「生成」はあまり使われることのない面だという。
    国立能楽堂に併設されている資料展示室に、それは展示されている(入場無料)。
    休憩時間に見るといいかもしれない。

    狂言『節分』は、鬼の人の良さ(笑)が滑稽であり、それが実に面白い。
    鬼を騙す女は、最初は怖がっていたのだが、途中から立場ががらりと変わる様がいい。とても恐い。

    能『鉄輪』は、面からだけでなく、夫への恨み、執念をも感じる佇まいが美しい。そして、闇に消えていく様は哀しい。

    国立能楽堂の座席の前には、液晶パネルが埋め込んであり、上演中に簡単な解説や台詞(全部ではない)が表示される。
    最近これを英語にして見ている。どう訳されているのかが面白いからだ。
    「鬼」は「Daemon」と訳されていた。ほかに訳しようがないからだけど、どうなんだろう。


    他の演目が見られる日も行きたかった。

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    2014/11/17 18:05

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