未開の議場 公演情報 カムヰヤッセン「未開の議場」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    闘技場を思わせる凝った席組みが裏目に…/約120分
    アクトスペースを挟んで向かい合わせになった客席はそれぞれ高所に設けられ、かつ急な傾斜がつけられている。
    今にして思えば、闘技場をイメージさせるこの席組みが良くなかった。
    この席組みは私をして格闘技見物をするような心持ちにさせ、会議劇と聞かされていた私は“言葉の格闘技”とも言うべき緊迫感あふれる論戦の劇、互いが互いを理で追い詰め合う息が詰まるような激しいディベート劇を期待してしまったのだ。

    ところが、始まったのはある地方商店街青年部によるユルめな町おこし会議。町おこしイベントに絡むある議題をめぐって話し合いが持たれるのだが、互いに顔見知りの面々は無駄話に興じてなかなか会議に入ろうとせず、ようやく会議が始まっても話は脱線を繰り返してたびたび本線を逸れ、不仲な参加者同士が内輪揉めを始めたり、みんなで列席者の噂話を始めたり…。
    焦点は会議そのものというよりも会議に参加する商店主たちの人間模様に当てられていて、特殊な席組みから激しいディベート劇を予期した私は肩透かしを食らった気分に。
    この内容なら、普通に組まれた客席でもっとユルッと楽しみたかった。

    普通の席組みが為されていれば、私も激しいディベート劇など期待せず、期待したものと実際に始まった劇とのギャップにまごつくこともなかったのに…。
    正直、席組みで損をしていると思いました。

    とは言え、時を追うごとに会議は白熱していき、気がつけば劇は席組みが私に期待させた“激しいディベート劇”に近いものに。
    そこからは結構楽しめたものの、いかんせん会議参加者が多すぎて、議論はやや取り留めを欠いていた印象。
    まぁこれは換言するなら“議論が紛糾していた”とも言えるわけで、会議劇としてはある意味成功だったのかも。
    それに、作・演出家はこの“紛糾ぶり”が見せたくてこの劇を作ったようにも思えるし…。

    ただ、会議参加者が議長を除いて12人というのはやはり多すぎる。
    攻撃的性格の参加者が何人もいる上その攻撃性の性質が似ていたりと、参加者の描き分けが上手くいっていないのは、たぶん会議参加者が多すぎるのが一因。
    会議劇の古典的名作『十二人の怒れる男』があるゆえに、会議劇の参加者は12人である場合が多いけれど、やっぱり12人は多すぎて扱いづらいし、今後会議劇が作られる場合には必ずしもあの作品に倣う必要はないのではないだろうか?

    ネタバレBOX

    ディベート劇の色が増して以後は「結構楽しめた」と書いたが、それでも「結構」しか楽しめなかったのは、議題設定および議題についての説明不足によるところ大。

    劇の時代設定は、たぶん近未来。
    労働力不足解消のため国が移民政策を取った結果、萩島町にはトメニア人なる外国人があふれ、トメニア人の増殖がもたらす功罪のうち“功”をより多くこうむっている商店主と“罪”をより多くこうむっている商店主との間で意見が対立し、会議はなかなかまとまらない。

    議題は「町おこしイベントのボランティアスタッフにトメニア人を起用するか否か」というもの。
    まず、この議題が軽すぎて劇に対して前のめりになれないし、トメニア人が何者なのかがよく分からないのも劇への没入の阻害要因。
    「労働力不足解消のため国が移民政策を取った結果」トメニア人が増えたというのは私が会議の内容から汲み取ったものに過ぎず明示はされていないので、トメニア人が萩島町に増えた経緯はやはり判然としないし、彼らがどんな国民性や文化を持ち、萩島町民とどんな関係を築いているのかも同様にはっきりしない。最後の一点についてはまだしも詳細な説明が会議中でなされるとはいえ、不明な部分もまだまだ多い。

    かくかくしかじかでトメニア人の何たるかがよく分からないため、劇はトメニア人という“謎の存在”をめぐる不条理劇のような様相を呈し、ために観る者は会議で話し合われていることを“自分にも関わる問題”として切実に受け止めることができず、劇に対していまいち能動的になれないのだ。

    “萩島町に増え続ける外国人”に「カメリア人」「ミンド人」など実在の人種をモジった名前をつけ、その人種に近い特徴を与えれば劇はより身近に感じられ、私ももっと前のめりで鑑賞できたと思うのだが、そうしなかったのはおそらく以下の二つの理由によるのだろう。

    一つは、特定の人種を想起させる外国人を登場させて否定的に描くことで批判が来るのを恐れた。
    もう一つは、移民問題が普遍的な問題であることを示すため、外来民族がどんな民族とも受け取れるよう故意に曖昧に描いた。

    どちらも理解できるが、やはり外国人にある程度の具体性を持たせないと作品の吸引力は減じる。

    色んな人種の特徴がミックスされた外国人を登場させる、害悪ももたらすその外国人が日本人に極めて近い特徴を持つ民族だとおいおい判ってくるなど、私なりに代案を考えてはみたが、果たしてこれでうまくいくものかどうか…。

    こういう問題を劇で扱うのは、やっぱり難しいのだなぁ…。

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    2014/11/11 14:08

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