21世紀の応答 公演情報 サントリー芸術財団「21世紀の応答」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ・・・
    パンフレットにあるシュトックハウゼン自身の言葉を読む限り、
    「それが具現化すればとんでもない舞台だ」と思ったが、
    少なくともこの公演はその言葉にまったく追いついていない。
    (「雅楽版」はどうだったのだろう?)

    ただ、言葉が示している地点が極めて高いので、
    シュトックハウゼン自身が手掛けたところでそこに到達できたのかはキワドイと思う。

    演奏も舞台上のパフォーマンスも、寸分違わぬ精緻さで行われたら、確かにとんでもなく壮大なスケールの作品になると思うが、
    そんな公演は、1977年「雅楽版」初演であれ、1979年「洋楽版」初演であれ、それ以後であれ、存在したことはあるのだろうか、、、

    ネタバレBOX

    特にパフォーマンスと音楽との関係について気になった。

    シュトックハウゼン自身はこの公演において、音楽とパフォーマンスは別たれるものではないと考えていたようだし、
    実際に成功していれば、そう感じられたと思う。
    だが、私には今回の公演において、この二つが軌を一にしているようには思えなかった。
    そうなった時、人間の受容機能として、視覚が聴覚より多くのものを受け取ってしまい、音楽がパフォーマンスに従属してしまっているように見えてしまった。
    私自身はこの公演を、「音楽ありき」で観に行ったのにである。
    それに、おそらく個別に評価しろと言われたら、圧倒的に音楽的な面の方が面白かったと思っているのにである。
    音楽的にはそれなりに楽しめながらも、全体としてはあまり良い印象を持てなかった。

    音楽とパフォーマンスの融合という時、人間における(近代的生活を行っている人間においてかもしれない)視覚の優位性ということは意識しておく必要があると感じた。
    「意味という病」ではないが、視覚表現において観客は表象されたものに意味を見出そうとしてしまう。今作のように「意味ありげ」な場合は尚更だ。すると、意識がそこに集中してしまい、その分、音楽への集中力が明らかに削がれてしまう。
    (勿論、この二つがぴったりとシンクロしていれば、そんな事態にはならないのだが。)


    また、この公演においては、それほど重要な要素ではないが、
    一応、書いておく意義があると思ったものとして、
    メタシアター的演出の部分。

    1977年の「雅楽版」、1979年の「洋楽版」初演時ではどう観客に受け取られたのか気になるが、2014年にこの演出を見ると、一種のキッチュ・パロディにしか見えない。
    メタシアターである驚きや戸惑いは微塵も湧き起こらない。
    「あ~、メタやるのね」という感じだ。
    もはや安易なメタ構造はエンターテイメントの一部として、観客に受容されてしまう。

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    2014/08/30 21:58

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