21世紀の応答 公演情報 21世紀の応答」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    年を数える
    年を数えることをテーマにした、儀式的なパフォーマンスを伴う2曲の公演で、その数える行為に対してのポジティヴさとネガティヴさの対比が際立っていました。

    『オペラ《リヒト》から〈火曜日〉第一幕 歴年』(カールハインツ・シュトックハウゼン作曲、佐藤信演出)
    この公演の2日前に上演された雅楽版(感想→http://stage.corich.jp/stage_done_detail.php?stage_id=58002)を延べ29時間の長大なオペラの中の1幕に組み込んだバージョンで、楽器が洋楽器になり、天使と悪魔役の歌手が2人追加されていました。
    演出的には床の数字が2014となり、それぞれの数字の上を舞う人が能楽師・舞踏家・ダンサー・パフォーマーとなっていたものの、基本的には雅楽版と同じで、もっと違うものを観たかったです。

    『59049年カウンター ―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―』(三輪眞弘)
    それぞれ異なる色のTシャツの上に防護服の様なレインコートを着たパフォーマー5人のチームが上手と下手に1組ずついて、アルゴリズム(地点の『光のない。』の合唱で用いたものと同様のものらしいです)に則って移動するのと同時に、パフォーマーと1対1対応をしている演奏家が音を出し、舞台奥上部のスクリーンには各パフォーマーへ3種の動きの指示と、それを3進法の10桁の数字として見たときの10進法表記数字を年号として表示し、各エリアの中心に立つ歌手がパフォーマーから藤井貞和さんの詩の断片が書かれた紙を手渡されそれを歌いあげる構成でした。
    淡々としていてかつ緊張感のある時間の流れが放射性廃棄物の放射能がなくなるまでの想像を絶する長い年月を思わせました。『歴年』で用いられたカウンターが2011を示したまま止まっていて、傍観者と名付けられたミュージシャン達は自分が演奏しない時は雑談したり写真を撮ったりしていたのが、当事者以外の人々を象徴していて怖かったです。
    声高には言葉では表さないもののパフォーマンス自体から強いメッセージが伝わって来ました。

  • 満足度★★★

    ・・・
    パンフレットにあるシュトックハウゼン自身の言葉を読む限り、
    「それが具現化すればとんでもない舞台だ」と思ったが、
    少なくともこの公演はその言葉にまったく追いついていない。
    (「雅楽版」はどうだったのだろう?)

    ただ、言葉が示している地点が極めて高いので、
    シュトックハウゼン自身が手掛けたところでそこに到達できたのかはキワドイと思う。

    演奏も舞台上のパフォーマンスも、寸分違わぬ精緻さで行われたら、確かにとんでもなく壮大なスケールの作品になると思うが、
    そんな公演は、1977年「雅楽版」初演であれ、1979年「洋楽版」初演であれ、それ以後であれ、存在したことはあるのだろうか、、、

    ネタバレBOX

    特にパフォーマンスと音楽との関係について気になった。

    シュトックハウゼン自身はこの公演において、音楽とパフォーマンスは別たれるものではないと考えていたようだし、
    実際に成功していれば、そう感じられたと思う。
    だが、私には今回の公演において、この二つが軌を一にしているようには思えなかった。
    そうなった時、人間の受容機能として、視覚が聴覚より多くのものを受け取ってしまい、音楽がパフォーマンスに従属してしまっているように見えてしまった。
    私自身はこの公演を、「音楽ありき」で観に行ったのにである。
    それに、おそらく個別に評価しろと言われたら、圧倒的に音楽的な面の方が面白かったと思っているのにである。
    音楽的にはそれなりに楽しめながらも、全体としてはあまり良い印象を持てなかった。

    音楽とパフォーマンスの融合という時、人間における(近代的生活を行っている人間においてかもしれない)視覚の優位性ということは意識しておく必要があると感じた。
    「意味という病」ではないが、視覚表現において観客は表象されたものに意味を見出そうとしてしまう。今作のように「意味ありげ」な場合は尚更だ。すると、意識がそこに集中してしまい、その分、音楽への集中力が明らかに削がれてしまう。
    (勿論、この二つがぴったりとシンクロしていれば、そんな事態にはならないのだが。)


    また、この公演においては、それほど重要な要素ではないが、
    一応、書いておく意義があると思ったものとして、
    メタシアター的演出の部分。

    1977年の「雅楽版」、1979年の「洋楽版」初演時ではどう観客に受け取られたのか気になるが、2014年にこの演出を見ると、一種のキッチュ・パロディにしか見えない。
    メタシアターである驚きや戸惑いは微塵も湧き起こらない。
    「あ~、メタやるのね」という感じだ。
    もはや安易なメタ構造はエンターテイメントの一部として、観客に受容されてしまう。

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