満足度★★★★★
楽しい時間をありがとう、菅野花音
ライオンキングは、有名過ぎるので、敬遠 していた。しかし、劇団四季のレパートリ ーのなかでも、秀逸なものだと感じた。誰 が見ても、面白いし、かつ感動できるとい える。
叔父さんにだまされた話は、劇の中で良く あると思う。おじさんは、叔父で結婚もで きず、子どももいないから、暗い。兄が優 秀で、比較されて、いじけてゆくものだ。
シンバとナラは、悪役を憎んでボコボコに しなくてはならない。ミュージカルだから 、ストーリーはシンプルな方がいい。高ら かに、王位奪還は完成する。
これに対し、コリオレイナスとか、オセロ は悲惨だ。勝ち誇ったはずの主役が挫折し て、終わる。やっぱり、ときどきは正義が 勝つ作品を見たいものだ。
PS.
本橋哲也さんの本による。舞台版ミュージカル『ライオン・キング』の原作は,1994年制作の,ディズニーのアニメーション映画。確かに,今回の観劇で,なにかに雰囲気が似ていることに,気がついた。そうだ,アニメ映画の展開とそっくりなのだ。映画作品は,アカデミー賞などもゲットした。
劇団四季の売店ではCDを購入した。そこには,エルトン・ジョンの名前がある。南アフリカの音楽家も共作しているようだ。アフリカ音楽といえば,モリカンテの曲が有名だ。何度も聴くと,リズミカルであり,センセーショナルだ。今回,『ライオン・キング』は,アフリカンの音楽に圧倒された。
劇団四季では,『オペラ座の怪人』でのその音楽が素晴らしかったという体験がある。やはり,ミュージカルは,ストーリーで観るものでなく,ナンバーの魅力に感動すべきものなのだろう。そういう意味では,フル・オーケストラというわけではなかったけど,結構楽しめた。すごかった。
アフリカン・ミュージックというのは,私の印象では,バラードみたいなものじゃない。魂をゆり動かし,生命の躍動を喜ぶ,ドラムによる単調なメロディに特徴があると思う。音楽というのは,ときには,単純な繰り返しが,身体の中にしみこんでいくようなことがある。そのとき,音楽に魅せられる。
http://jp.youtube.com/watch?v=cIUD1Z3pU1g&feature=related
ほかに,音楽と並んで,ダンスの素晴らしさがある。ダンスは,一番身近なものになっているが,その源は,どういうものか,あまり研究されていない。私は,バレエの歴史に少しヒントを感じる。オペラの影的な存在だったが,バレエもまた,チャイコフスキーなどによって,一世を風靡し,地位を向上した。
人間が,人間の舞踏を素朴に楽しむということは,大事なことだろう。クシェシンスカヤは,バレエにおいては,音楽の方が目立ってしまった「クラシック・バレエ」でなかった,『ラ・シルフィールド』とか,『ジゼル』など,芝居部分が魅力的な時代を懐かしむ。高く評価する。だとすると,ミュージカルも同じ。
『ライオン・キング』は,総合芸術的に観て,たいへん興味深い。
2014/09/05 09:09
世界で最初の,演劇学科は,1923年に,ベルリン大学で設立された。このときまで研究者は,文学科の中にいて,ドラマ研究をしていた。演劇研究の中心は,テキストである「文学」ではなく,上演されたものでなくてはならない。
しかし,舞台表現は,完成と同時に消滅する。過去の舞台表現を再現することはできないのだ。演劇学科が出現する頃には,「演出家」の台頭というものがある。演出そのものの定義があいまいだが,それ以前にも,座長演出みたいなものはあったようだ。スタニスラフスキーなどは,役者兼演出だった。
文学テキストとしての戯曲が,読むだけでは想像できない舞台になる。そのとき,演劇は,文学の領域を飛び出してしまう。確かに,イプセンの戯曲を何度も読んでいるので気がつく。実際に目の前で上演されたものは,戯曲を読めばさらに理解が深まる。しかし,そうでない作品は,どこかぼやってとしている。
パフォーマンスということばは,大道芸みたいなものをイメージするだろうか。このパフォーマンス(performance)という言葉が,演劇・音楽・ダンスなどを総称して呼ぶうちに,いろいろな使い方がされ,キーワードに利用された。パフォーマティヴィティ(performativity)と抽象名詞化していく。
新しい演劇・ミュージカルの傾向には,いろいろな特徴がある。工業資本による娯楽性付加には,「お話」が重要で,保守的と思われるドラマ回帰が目立つ。(『ニッキー』みたいなものでしょうか?)。異文化接触上演intercultural performance(『ライオン・キング』が該当するかもしれません)。
先端テクノロジーに依存する舞台表現。これは,何を言っているのか。『ミス・サイゴン』で,ヘリコプターが飛ぶような仕掛けのことでしょうか。演劇よりダンス,あるいは,ダンステアターに,現代的前衛上演のあり方を求めている風潮。例えば,『葉っぱのフレディ』も『ココ・スマイル』もそうですね。一番すごかったのは,やっぱり,『ニッキー』でしょうか。
『演劇論の変貌』の一著者は,演劇の上演的側面をいかに美学的にとらえるかが,関心の中心となってしまう。ということは,論理的な問題,ストーリーは,二次的に観て良い,演劇・ミュージカルもあるということでしょうか。ただ,ストーリーも,大事なのだと私は思うのですが。