ライオンキング【東京】【2023年1月22日昼公演中止】 公演情報 劇団四季「ライオンキング【東京】【2023年1月22日昼公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    楽しい時間をありがとう、菅野花音
    ライオンキングは、有名過ぎるので、敬遠 していた。しかし、劇団四季のレパートリ ーのなかでも、秀逸なものだと感じた。誰 が見ても、面白いし、かつ感動できるとい える。

    叔父さんにだまされた話は、劇の中で良く あると思う。おじさんは、叔父で結婚もで きず、子どももいないから、暗い。兄が優 秀で、比較されて、いじけてゆくものだ。

    シンバとナラは、悪役を憎んでボコボコに しなくてはならない。ミュージカルだから 、ストーリーはシンプルな方がいい。高ら かに、王位奪還は完成する。

    これに対し、コリオレイナスとか、オセロ は悲惨だ。勝ち誇ったはずの主役が挫折し て、終わる。やっぱり、ときどきは正義が 勝つ作品を見たいものだ。

    PS.

    本橋哲也さんの本による。舞台版ミュージカル『ライオン・キング』の原作は,1994年制作の,ディズニーのアニメーション映画。確かに,今回の観劇で,なにかに雰囲気が似ていることに,気がついた。そうだ,アニメ映画の展開とそっくりなのだ。映画作品は,アカデミー賞などもゲットした。

    劇団四季の売店ではCDを購入した。そこには,エルトン・ジョンの名前がある。南アフリカの音楽家も共作しているようだ。アフリカ音楽といえば,モリカンテの曲が有名だ。何度も聴くと,リズミカルであり,センセーショナルだ。今回,『ライオン・キング』は,アフリカンの音楽に圧倒された。

    劇団四季では,『オペラ座の怪人』でのその音楽が素晴らしかったという体験がある。やはり,ミュージカルは,ストーリーで観るものでなく,ナンバーの魅力に感動すべきものなのだろう。そういう意味では,フル・オーケストラというわけではなかったけど,結構楽しめた。すごかった。

    アフリカン・ミュージックというのは,私の印象では,バラードみたいなものじゃない。魂をゆり動かし,生命の躍動を喜ぶ,ドラムによる単調なメロディに特徴があると思う。音楽というのは,ときには,単純な繰り返しが,身体の中にしみこんでいくようなことがある。そのとき,音楽に魅せられる。

    http://jp.youtube.com/watch?v=cIUD1Z3pU1g&feature=related

    ほかに,音楽と並んで,ダンスの素晴らしさがある。ダンスは,一番身近なものになっているが,その源は,どういうものか,あまり研究されていない。私は,バレエの歴史に少しヒントを感じる。オペラの影的な存在だったが,バレエもまた,チャイコフスキーなどによって,一世を風靡し,地位を向上した。

    人間が,人間の舞踏を素朴に楽しむということは,大事なことだろう。クシェシンスカヤは,バレエにおいては,音楽の方が目立ってしまった「クラシック・バレエ」でなかった,『ラ・シルフィールド』とか,『ジゼル』など,芝居部分が魅力的な時代を懐かしむ。高く評価する。だとすると,ミュージカルも同じ。

    『ライオン・キング』は,総合芸術的に観て,たいへん興味深い。

    ネタバレBOX

    シェークスピア『ハムレット』から,『ライオン・キング』へ

    シェークスピアは,多くの劇でたくさんの人殺しを登場させている。まさに,人殺しにもいろいろ。1564年から,1616年で亡くなっています。

    有名なハムレットは,叔父さんが王位簒奪後,ハムレットの恋人のオフィリア父親を腹心の部下とします。たまたま立場上,ハムレットを監視し,逆に,盗み聴きがばれて,カーテン越しに,ハムレットに殺害されてしまいます。だから,オフィリアは親のかたきとなった,ハムレットを想うこともできず,自滅していきます。

    ライオン・キングは,ハムレットの物語とは,まったくちがいます。王は,劇の中で,シンバを教育していますが,ムファサは,まんまと,息子を助けようとして弟の策略にはまって死にます。ヤング・シンバは,命からがらで,ジャングルの闇で生きる境遇に落ちていきます。でも,心配ないさ・・・

    English became a language with an immense capacity to absorb others, to convert others, certainly to take on board other languages without yielding the ground on its own basic vocabulary and meaning.

    放送大学のテキストでも,英語が,いかに寛容な言語であり,ほかの言葉から多くのものを受け入れ,取り込み,柔軟さのある,汎用性の高いものか、述べられています。アフリカのスワヒリ語が,オックスフォード英語辞典に加わりました。ライオンという意味で,simbaです。

    演劇の世界では,役になりきることと,どのみち完全に本人がやっているのとは違うのだから,それは意識してもいいのではないのか,というような論争がずっとあったようです。ブレヒトという人は,人物になりきることが,同化というものであるとするなら,虚構は虚構として,異化があるもので良い,むしろその方が,非常にインパクトがあったりするととらえていたのでしょうか。この点,ライオン・キングは,この被り物演出で,なんらかの異化効果というものを最大限に狙ったという感じはします。

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    2014/08/24 17:22

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  • 『演劇論の変貌』という本の序で,毛利三弥氏は,われわれが日常的に楽しんでいる演劇について,大学ではどう研究されているか,説明している。

    世界で最初の,演劇学科は,1923年に,ベルリン大学で設立された。このときまで研究者は,文学科の中にいて,ドラマ研究をしていた。演劇研究の中心は,テキストである「文学」ではなく,上演されたものでなくてはならない。

    しかし,舞台表現は,完成と同時に消滅する。過去の舞台表現を再現することはできないのだ。演劇学科が出現する頃には,「演出家」の台頭というものがある。演出そのものの定義があいまいだが,それ以前にも,座長演出みたいなものはあったようだ。スタニスラフスキーなどは,役者兼演出だった。

    文学テキストとしての戯曲が,読むだけでは想像できない舞台になる。そのとき,演劇は,文学の領域を飛び出してしまう。確かに,イプセンの戯曲を何度も読んでいるので気がつく。実際に目の前で上演されたものは,戯曲を読めばさらに理解が深まる。しかし,そうでない作品は,どこかぼやってとしている。

    パフォーマンスということばは,大道芸みたいなものをイメージするだろうか。このパフォーマンス(performance)という言葉が,演劇・音楽・ダンスなどを総称して呼ぶうちに,いろいろな使い方がされ,キーワードに利用された。パフォーマティヴィティ(performativity)と抽象名詞化していく。

    新しい演劇・ミュージカルの傾向には,いろいろな特徴がある。工業資本による娯楽性付加には,「お話」が重要で,保守的と思われるドラマ回帰が目立つ。(『ニッキー』みたいなものでしょうか?)。異文化接触上演intercultural performance(『ライオン・キング』が該当するかもしれません)。

    先端テクノロジーに依存する舞台表現。これは,何を言っているのか。『ミス・サイゴン』で,ヘリコプターが飛ぶような仕掛けのことでしょうか。演劇よりダンス,あるいは,ダンステアターに,現代的前衛上演のあり方を求めている風潮。例えば,『葉っぱのフレディ』も『ココ・スマイル』もそうですね。一番すごかったのは,やっぱり,『ニッキー』でしょうか。

    『演劇論の変貌』の一著者は,演劇の上演的側面をいかに美学的にとらえるかが,関心の中心となってしまう。ということは,論理的な問題,ストーリーは,二次的に観て良い,演劇・ミュージカルもあるということでしょうか。ただ,ストーリーも,大事なのだと私は思うのですが。

    2014/09/05 09:09

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