永遠の一瞬 -Time Stands Still- 公演情報 新国立劇場「永遠の一瞬 -Time Stands Still-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    今もどこかで起こっている戦争、そして人生の選択
    「永遠の一瞬」を止めておけるのは写真だ。
    人の気持ちは一瞬ごとに変わってしまう。
    「永遠」というものは存在しない。

    ネタバレBOX

    女性の戦争カメラマン・サラと、男性の戦場ジャーナリスト・ジェームズのカップルがいる。
    サラは、戦場取材中に一時意識不明になったほどの大怪我を負ってしまう。
    彼女が負傷したときにその場にいなかったジェームズは、彼女を迎えに行き、2人が生活しているアパートに戻って来た。
    実はジェームズは、やはり戦場取材中に心に深手を負っていたのだ。

    帰国した2人の前に共通の友人であるリチャードが訪れる。
    マンディーという、若く新しい恋人を連れて。

    身体と心に深手を負ってしまったということによる、サラとジェームズの関係、さらにマンディーという恋人を手にした、リチャードとの関係など、久しぶり会う彼らの状況の変化が、さまざまな気持ちの動きになってくる。

    そんなストーリー。

    この物語には2つのテーマがある。

    ひとつは、戦場ジャーナリスト(カメラマン)についてで、もうひとつは女性の生き方(と男性との関係)についてだ。

    戦場ジャーナリストはなぜ戦場を取材するのか、戦場カメラマンはなぜ戦場の悲惨な姿にレンズを向けるのか、ということだ。
    それは「強い使命感」にあるからだ。

    マンディーがサラに問う。「レンズを向けている怪我をして死にそうな子どもにシャッターを切るのではなく、なぜ助けてあげないのか」と。
    サラはそれ答える。「自分たちが伝えなければ、その悲惨さは誰も知ることがない。自分が助けようとしてもその子どもは助からなかった」。

    伝えることで世界が知り、レンズの向こうにある悲惨な出来事が少しでもなくなるのではないかと思っているのだ。

    しかし、マンディーにはそれが理解できない。目の前にいる子どもを助けることが先であると。
    2人の間は、絶対に埋まることはない。

    サラの側に立っていたパートナーのジェームズは、戦場で受けた心の傷は完全に癒えていないのだろう。さらに自分の記事が雑誌に絶対に掲載されないことを知り、心が折れてしまう。
    「自分たちが何をしても戦争はなくならない」と言う。
    つまり、使命感が折れてしまったのだ。
    それが彼らの仕事の根幹であるのだが。

    ジェームズの心動き、葛藤はよくわかる。それはた私が男だからかもしれない。
    自分の精神が傷つき、最愛の人が死線を彷徨ったのだから、「普通」になりたい、と思うのは当然だろう。
    しかし、サラは違った。
    死線を彷徨ったのが自分だから、最愛の人が生きるの死ぬのかという不安にあったわけではないし、体験からさらに自分の意思を固めてしまったのだろう。

    それは女性と男性の違いなのかもしれない。
    女性にはそういう強さがある。
    子どもを産み、育てるマンディーにも同じ強さがある。
    ただし、それは「やりがいのある仕事を捨てても、自分の子どもを育てる」という強さだ。

    サラの設定は女性戦場カメラマンなのだが、それを単に「仕事」と置き換えてもいい。
    女性は「仕事」と「家庭」の選択を迫られる。
    戦場カメラマンという設定にしたのは、その両立が非常に難しいからだろう。

    安全な場所で幸福な妻になり、母になるのか、使命感とやりがいで、文字どおり命をかけた仕事を続けるのか、ということなのだ。

    マンディーが現れたときに、サラはジェームズに聞く。「ああいうのが好みなのか」と。
    サラの嗅覚が、ジェームズの変化を嗅ぎ取った一瞬だ。

    彼らの友人リチャードは、言い訳のように、マンディーについて語る。
    使命感を持ち、鋭さを失っていないサラを前にして、申し訳なさのようなものを感じてしまったのだろう。
    しかし、リチャードはマンディーを選び、普通の幸せを選んだ。
    ジェームズも、彼らを見て、心が揺らいだのではないだろうか。

    サラの立場から言えば、「結局この男も、あの男もみんな同じだ」ということなのかもしれない。
    男が女性に求めるのは、そういう生活なのだから。

    リチャードからのプロポーズを受け、いったんは結婚する2人だったが、やはりすでに価値観が違っている2人は別れしか方法はなかったのだ。

    別れた後、リチャードは新しい恋人をつくっていた。
    サラは1人、また戦場に向かう。

    男の視線から見てしまうと、サラの頑なさは、マンディーへの当てつけのように見えてしまう。
    「私はあなた(たち)とは違う」「使命があるのだ」ということで、仕事に向かうことに頑なになってしまったのではないだろうか。

    女性が仕事を続けるということは、戦場のような場所をかいくぐらなくてはならない。
    決死の覚悟が必要であり、その姿は悲壮感さえある、というラストではなかったのではないだろうか。

    「仕事か家庭か」という選択を迫られている女性たちは、この作品どう見たのだろう。
    とても辛いラストであったのではないだろうか。

    「永遠の一瞬」を止めておけるのは写真だ。
    しかし、人の気持ちは一瞬ごとに変わってしまう。
    「永遠」というものは存在しない。

    サラを演じたのは、中越典子さん。キリリとしていて、対峙する者は正論でねじ伏せられてしまうような強さを感じた。
    男性はそれを感じ取り、申し訳なさげに対応する。例えば、サラの目を正面から見ることができないような。
    マンディーを演じたのは、森田彩華さん。屈託がなく、何でも思ったことは言ってしまう。しかし、悪気はなさそう。ただし、ひょっとすると強く使命感と仕事に燃えるサラに対して、誰もが言い辛いことを、わざと言ってるのではないか(言わば挑発している)と思ってしまうような、雰囲気がいい。

    サラのパートナー・ジェームズを演じたのは瀬川亮さん。線の細さ、簡単に折れてしまいそうな雰囲気がよく出ていた。自分の記事が掲載されないことへの怒りや、気持ちの変化など。
    友人のリチャードを演じたのは大河内浩さん。俗物のように見えるが、それはサラがいるせいであり、あれが普通のおじさんなのだ。

    舞台の上手後方に舞台サイズと比べて小さなモニターがあり、戦場らしき写真が時折、映し出される。何が写っているのかは、ぼんやりとしかわからない。
    つまり、世界のどこかでは、こうしている今も、悲惨な出来事が起きているということであり、サラの頭の中と、ジェームズの頭の中には、消し去れないそういう記憶が残っているということなのだろう。
    残っていることは同じであっても、その影響は180度変わってしまったのだが。

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    2014/07/24 06:10

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