永遠の一瞬 -Time Stands Still- 公演情報 新国立劇場「永遠の一瞬 -Time Stands Still-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    切ないラブストーリーとして観るべき芝居
    主人公が、戦場のフォトジャーナリストということで、かなり身構えて観てしまいましたが、観終えてみれば、これは男女の切ない恋愛模様を描いた芝居なのだと気づきました。

    主人公の職業はあくまでも芝居のお膳立てで、これが他のどんな職業であれ、作者の描きたかったテーマは、同じだったような気がします。

    宮田さんの演出は、いつも丁寧なのですが、そのせいで、いつもどこか、作為的な感が否めません。どうしても、登場人物を俯瞰して観てしまって、結局これは芝居なのだと、常に意識させられます。だから、観ていて、究極的に登場人物の意識にのめり込むことができません。良く練られたお芝居だとは思いますが、満足度がマックスにならないのはそのせいだと思いました。

    中越さんは、たぶん、初舞台からかなり拝見している女優さんですが、観る度、舞台女優としての劇的な進化を感じて、嬉しくなります。
    一方、相手役の瀬川さんは、良くも悪くも、いつも一定の役者力を発揮される男優さんだと認識します。台詞回しが、ある意味自然なのですが、台詞の一部が観客に伝わらないのは、舞台俳優としては、致命的な気がしてしまいます。特に、こういう、一字一句の台詞が重要な芝居においては。

    ネタバレBOX

    戦場のフォトジャーナリストの女性と、彼女に常に同行していた、恋人のノンフィクションライターの恋愛模様。

    一幕では、サラは、取材先で負傷して、命からがら、帰国して来るところから、始まります。恋人のジェィムスは、サラほどには神経が図太くなくて、戦場の悲惨さに耐えられず、先に帰国して、オカルト映画の脚本作りに勤しんでいるようです。そんな彼を観るサラの目は時に批判的ですが、長い間、コンビを組んで来た彼に対して、サラは複雑な女心を覗かせたりもします。

    一幕ラストでは、怪我をしたサラを慈しむように、二人が再び、心も体も結ばれるシーン。ここで、私は、この芝居は、恋愛ものなのだと、ようやく気づかされました。

    二幕冒頭は、ジェイムスが、戦場ものの芝居を観劇しての感想を述べる場面から始まります。この彼の痛烈な感想が一々耳に痛かったのは私だけでしょうか?戦場ものの芝居を観て、疑似体験をした気になって悦に入って帰宅する観客の一人が、まさに、今の自分に重なって、心が重くなりました。

    連日、終わることのない戦闘が、どこかで繰り返されて、幼気な子供達や、非力な人間の命が露と消えて行くのに、何もできない自分。ジェィムスの無力感は、私にとっても他人事ではなく、だから、登場人物の中で、彼の意識に一番共感してしまう自分を疎ましく感じてしまいそうでした。

    戦場で、悲惨な民衆にカメラを向けることに、時として、迷いや、逡巡を感じることもあるサラは、でも、自分の持ち場は、戦場のジャーナリストのみという自負に支えられて生きています。

    二人は、お互いに、相手への愛情を自覚しながらも、一緒に生きられないと悟る時を迎えます。二人の間の隙間風の理由として、サラの通訳だった現地男性との情事も、色濃く反映していました。
    その男性タリクは、既に亡くなっているのですが、ジェイムスにとっては、未だに彼は心の中で存在していて、だからこそ、取材ルポに、タリクの存在を消し去ってしまいます。サラには、逆にこのことが、ジェイムスとの別離を決意させるきっかけになるようです。

    別れを決意した二人は、今後、親友として、関係を続けて行くのでしょう。
    一度は存在を消したタリクを、出版に漕ぎつけた写真集で、再び復活させるのは、ジェイムスのサラへの精いっぱいのはなむけだったのだと思います。

    相手を嫌いになったわけではないのに、止む無く別れを選択したことがある経験から、二人が最後に固く抱擁するシーンは、胸に応えました。
    個人的好みから言えば、ここで幕にしてほしかったと思います。

    せっかく、積み上げて来た芝居が、最後の最後のわざとらしいサラの所作を見せることで台無しにしてしまった気がしました。中越さんが、戦場のフォトジャーナリストがカメラを構える演技を体現できるまでには残念ながら、まだ無理がありましたから。

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    2014/07/17 04:41

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