うちの犬はサイコロを振るのをやめた 公演情報 ポップンマッシュルームチキン野郎「うちの犬はサイコロを振るのをやめた」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ポップンマッシュルームチキン野郎の作品を構成する成分の配分に変化あり!?
    ポップンマッシュルームチキン野郎は、脱法ドラッグに近いのではないか。
    「コメディ」と称して上演しているのだが、実態は「感動的な内容」だったりする。
    覚○剤のような感動(興奮)作用があるのにもかかわらず、「コメディですから問題ありません」と言い逃れをしてきた。あくまでもコメディであり、吸引は勧めていないということなのだ。
    しかし、今回は騙されない。
    感動的成分がやや多めなのだ。
    脱法ドラッグに対する規制と同様に、感動と成分構造が似た内容をまとめて規制対象とする、包括指定をしてほしいと思うのは私だけではないだろう。

    ネタバレBOX

    相手の目を見て話すことのできないような、少し恥ずかしい「純愛」「絆」とか、そういう感動的なものを、相手の目を見て話すことのできないような「お下劣」だったり「お下品」だったり、アブナかったりする笑いの中に隠す、というのがポップンマッシュルームチキン野郎なのではないかと思う。

    その2要素の配分が、感動2〜3で、お下劣7〜8というイメージだったのだが、前回の短編集作品『ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない』から、感動を前面に出してきたような気がする。
    「出しても大丈夫」と思ったのではないか。

    今回は、感動要素がかなりの割合を占めていたと思う。
    一家が殺害される衝撃的な冒頭のシーンを含め、その要素が大きい。

    さらに、ゴルバチョフが未来予知(予測)から目覚めてからは、ほぼ笑い要素なしで、突っ走る。

    当然、観客を惹き付けているので、脇に逸らさず一気にラストに持ち込み、この物語を完結させたいのと、観客にきちんと伝えたいからそうしたのだろう。
    だから、ニワトリやトカゲ、さらにマッサージチェアが踊っていても、感動的であったりするのだ。

    意識したのかどうかはわからないが、ここまでのいくつかの作品で、観客を、ある意味「鍛えて」きたのではないだろうか。
    つまり、茹でカエル理論ではないけれど、熱湯にカエルを入れたら飛び出してしまうが、水から徐々に熱していくと、カエルは飛び出すとこなく茹で上がってしまうというアノ理論同様に、いきなり感動的な作品を見せてしまうと観客は、「そんなお涙頂戴は見たくないんだよ」と劇場を飛び出してしまうが、お下劣&お下品の下のほうに感動を入れて、徐々にその感動を増やしていくと、いつのまにか観客は、ポップンマッシュルームチキン野郎の感動的な作品に茹で上がってしまうということなのだ。

    だから、観客は気をつけなくてはならない。
    ポップンマッシュルームチキン野郎はそのうち、下品さが微塵もない、感動的劇団になってしまう。○ャラメルボックスのように、高校演劇部がこぞって上演してしまうような劇団になってしまうのだ。そうなってしまったら、どうする? え?

    冗談はさておき、気になるのは、「笑い」の部分である。
    下品で下劣で、アブナイ的な笑いは健在なのだが、どうも弱い。
    もちろん、相当いいところもあるのだが、例えば、マッサージチェアが食べていることを自問自答するのだが、酒でまた自問自答する。これって、ここの劇団だと2回目はもう一捻りあったように思えるのだ。結婚したマッサージチェアが子どもらしいイスを持って出てきても、誰も何も触れないぐらいの感じが丁度いいのだ。

    たぶん、そう書くと、作・演の吹原幸太さんは「いつもと同じだよ」と言うかもしれない。
    しかし、観客がこの劇団に欲するレベルは、今、かなり高いところにある。
    だから、「アブナイ的な笑い」も、「アブナイですよー」と、わざわざ宣言しているぐらいの、わかりやすすぎて、予定調和な「アブナさ」になっているような気さえしてしまうのだ。
    例えば、キャバレーの名前「リトルボーイ&ファットマン」あたりが。
    例えば、冒頭の中国ネタを止める感じも「ぬるい」と思ってしまう。

    それぐらいの「軽さ」ならば、もっと量が欲しい。
    前半の、タイトルが出る前までは、観客がイヤな気持ちになるぐらいの、そうしたネタを放り込んできてほしかったな、と思うのだ。

    と、書いてきたが、それはあくまでも、この劇団に対するハードルの高さからのことであり、今回の作品自体は面白いと思う。

    笑いがあり、切なさがあるいいストーリーだし、観客を引き込み、ストーリー展開を楽しませてくれる。
    駅前劇場のサイズにあって、セットも素晴らしい。
    特に、ラストに向かう前、ゴルバチョフが舞台中央に立ち、両側の扉がくるくる回るところがとてもいいと思った。

    そして、今回も役者がいい。

    前作『ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない』で、「増田赤カブトさんいい!」と思った者として、彼女をメインに持ってきたことは大正解だったと思う。
    ヒロインとして輝いていた。

    また、主演のゴルバチョフを演じた加藤慎吾さんもいい。
    彼がかっちり演じているから、物語がぶれないのだ。
    下手に笑いを取らせることせずに、きちんとストーリーを支える。
    この手法は、ポップンマッシュルームチキン野郎の今までの作品と同様の手法であり、ここが上手いと思うのだ。
    コメディの面白さがどこにあるのかがわかっているのだ。

    さらに、いつもそうなのだが、サイショモンドダスト★さんの、ここぞ、というところでのスイッチの入り方が素晴らしいのだ。
    ニワトリ役の小岩崎小恵さんも、きちんと演じて物語を支えている。
    また、美津乃あわさんを歌わせたところがナイスである。彼女は歌が上手い。スターであるという位置づけを全うできているし、彼女がレビューの中心にいなければ、締まりのないものになってしまったと思うほど。
    そのほかの俳優さんたちもいい。上手いというわけではないが、「いい」のだ。

    ストーリーに、血生臭さがあるから、切なさが際立つ。
    それをうまく使って観客を感動させる。
    その手法にまんまとはまったと思う。

    ラストは、ゴルバチョフ同様に未来を予知できる男から「お前はわかっていると思うから……」という台詞を受けて、「可能性の高い未来の予知」としての、未来の幸せなシズ子を見るゴルバチョフの夢のような予知の中で、(たぶん)自分が出てくるであろうシーンで静かに終わる。
    とてもベタだけど、ここまでの展開の巧みさで、いいシーンだな、いいラストだな、と思わせてしまう。

    ラストの加藤慎吾さんの表情、増田赤カブトさんが犬の鳴き声に顔を上げたときの表情、とても素敵だった。

    最後に、観客の1人として、次回作はもっとハードルを上げて観に行くと思うので、よろしくね、と書いておく。

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    2014/07/08 05:23

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