ピース-短編集のような・・・・・ 公演情報 グリング「ピース-短編集のような・・・・・」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    透徹する、負に負ける
    連作短編は、多様な立場にある人の、様々な面を浮かび上がらせる。人々をつなぎ止めているのは、連作を貫く、強烈な、現代社会への問題意識だ。旧作2本、新作4本からなる6本の短編は、それぞれが、問題提起と、その回答を、提示する。

    扱われている問題の設定が、とても鋭い、と思った。非常に強い、危機意識を、感じさせる。とはいえ、舞台は、バランスが考えられていて、非常に重いものを含みながらも、なんとか、明るく、軽やかな方へと、向かおうとする。

    これを、どう見るか。僕には、問題意識が強すぎて、鋭すぎて、もう、オムニバスという形式では、背負いきれていないように、思えた。全体的に、意識的に作り出された、明るさ、軽さが、かえって浮いてしまい、全体を貫くテーマの抱える重さを、より、浮き彫りにしてしまっている、と、感じた。

    ネタバレBOX

    「世界は、確実に、悪くなって行っている」という独白が、出てくる。この作品で、短編たちをつなぐのは、このような「負」の意識だ。連鎖、というほど緊密なものではないけれど、玉突き事故のように、なんとなく、ネガティブなつながりで、それぞれの短編が、繋がっている。

    「負」の問題意識の中で、最も先鋭的に扱われているのは、様々な形の、暴力の問題だ。冒頭、喫煙所に排除された人々の会話。タスポがなくて、タバコを買いにいっても、買えない。禁煙の流れが持つ、喫煙者への暴力の被害者たちが、今度は、原子力潜水艦の入港に反対する運動を行う側になる。

    劇場は、下北沢再開発反対運動の中心地、ザ・スズナリ。舞台上で行われている、運動の、排除する側とされる側が、常に一人の人の中に同時に存在する構図が、運動のビラを見ながら劇場の入り口をくぐった僕ら、舞台の外まで、取り込む。

    この問題意識は、作品の中で、蝶と蛾を区別し、無根拠に、一方を排除するという暴力として、繰り返し提示され続けることになる。

    僕は、この冒頭に、やられた。鮮やかだ、と思った。そして、はっきりと提示された問題設定に、どのように取り組む作品なのか、息をのんだ。

    作品中の人々は、みな、自分の立場が危うくなって、排除される側に回ろうとしている人たち。そして、彼らの出す回答のうちのいくつかは、自分が、排除される前に、排除する側に回るという、救いのないものだ。だが、このような回答に対する、さらなる反論として、エピローグが提示するビジョンは、あまりにも、無力だと、思う。

    物語は、自分の世界を捨てて逃げ出そうとした男たちの断念と、夫の自殺を乗り越えた女性の、生まれてくる新しい命を、決して人を、殺さない、殺されない命に育てよう、という、決意、のようなもので、幕を閉じる。彼女の、のめりこんでいた「反対運動」に対する、「どうでもよくなっちゃいました」という言葉は、印象に残る。

    でも、この彼女の決意は、積み重ねられた負の連作に対する反論としては、あまりにも弱い。結局、自身を支えるのは、自身の「決断」「意志」であり、「確実に悪くなっていく世の中」を、自身の意志で乗り切ろう、という、なんだか、精神論的な回答に、僕は、がっかりした。そして、せめてそれなら、彼女の心の変遷を、もっとじっくり、長編として描いてくれたら、と、思った。

    男たちの、逃避への断念も、彼らではなくて、状況が引き起こした断念であって、結局かれらは、日々の生活へ、嫌々ながらに、引き返すだけだ。そこには、「回答」と呼べるようなものは、ない。

    重い作品を、必死で軽めようと、笑いが挿入される。不自然ではないけれど、笑いを取るのは、いつも、物語の本質とは関係のない、いわば、笑い専門に用意されたような人物たち。作品が、自分の用意した自身の「負」の重さに負けている。自分で用意した問題に、答えることができずに、自身の重さで、つぶれてしまっている。そして、せっかくの短編集が、透徹したテーマによって、一つに回収されてしまっている、と、思った。

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    2008/08/01 14:04

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