満足度★★★★★
とても印象に残る素晴らしい舞台
同一構造の違う部屋にいる別の人物達を一つの場にレイヤーのように重ねて、同時進行することで時間辺りの情報量を増大させ、平行進行感をだし、かつ本筋を進めながらの構図や状況の説明などを同時に実現している。
単純な「物語の再生装置」から進化した現代演劇のテクニカルな特徴のひとつは「異なる時間や空間を多層レイヤー化して同時再生できる」ということなのかもしれない。
少なくともそれを理解してる一連の演目群には面白いものが多い気がする。
レイヤーを一枚づつ見せて終盤で全て重ねるという荒業は初めて見た。
最大4レイヤーが重複進行する濃密感はすごい。
レイヤーが多層になれば奥行きが増すのは自明。
戯曲(転じて小説・映画・ゲーム)が平行する筋を、章単位等で多層化してきた構造からは明らかに一段踏み出してる。
ニコ動を最初に見たときの動画+テキストの違和感と直後それを乗り越えて既存化してしまう流れに近いかもしれない。
但し共にこれらの良さを口で説明するのは困難だけども。
筋はいたってシンプルで凡庸(金八先生のよくある1話くらい)だが、もともとの主題が
「思ったこと正直に口に出して言ってしまうアメリカ人のような男」と、
「思惑は別にあるのに文脈(空気)を読んで机上の正解しか口にしない人達(とその視点による嫉妬などもないまぜになった憶測)」
の噛み合わない会話劇なのだろうと思うから、筋そのものは凡庸でいいのだと思う。
ついつい「会話の応酬」とか「バトル」とかに目が行ってしまうと思うが、よく思い出すと実はバトルはまったく成立していない。だってそもそも噛み合ってないんだから。意図的にそういう風に創ってあるんだから。
そう考えると、構造的には不条理劇の定番構造にも近い気がした。
少なくとも「学校の抱える問題や現状」とか「現代の教育のうんたら」とかそういうのは本作の主題とはまったく無関係で、「追い込まれた人々を密室に押し込めるために用意された道具立」てにすぎないように思う。
「蝿の王(ゴールディングのほうね)」が「少年たちのサバイバルものではない」というのと同じ。
一方でこのあたりのミスリードを誘発するような意図的な造りもヒリヒリする感じで好みではある。
この辺の見切りがスパッと見切れていてブレがないのはとても素晴らしい。
このような厄介な作品を成立させるに足る技量を持った演者のみなさんには敬意を表したい。