緑子の部屋 公演情報 鳥公園「緑子の部屋」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    不在の他人、消失した他人とは私自身である
     学校の教室の壁が白く塗られていました。床には白いカーペットが敷かれており、学校によくある金属製の脚と木を使ったイス数脚と、よく似た素材のテーブルが置かれています。客席は演技スペースをL字型に囲むスタイル。質素だけれど、そぎ落とされたおしゃれ感のある空間でした。そこに洗練されたカジュアル・ルックの若者3人(男性2人、女性1人)が登場します。役者さんが若者らしい現代口語を話し、複数人をシームレスに演じていくのはチェルフィッチュの『三月の5日間』に似ていました。

     今どきのごく普通のおしゃべりから、緑子という若い女性の育ちや性格、友人・恋人関係などが少しずつ浮かび上がってきます。3人の役者さんは緑子に関わりのあったさまざまな人物を、短いエピソードごとに演じ分けていき、激しく動きながら長いセリフを言い続けたり、言葉の意味とは明らかに違う体の動きを見せるなど、負荷の高い演技をされていました。

     昨年9月に拝見した鳥公園の短編『蒸発』は、肌で確かめられるような生々しい肉感があって、それゆえの切実さや切迫感から、鼻を突くような刺激的なエロスもあったと思うんです。それに比べると今作は知性できれいに整理整頓されているような印象を受け、個人的には物足りなかったです。

    ネタバレBOX

     衣裳のデザインはクールでスポーティー。一見、普段着っぽくはあるのですが、舞台美術との統一感や色のバランスなどにもこだわりがありそうです。3人ともナイキやニューバランスのカラフルで派手な運動靴を履いています。全然汚れていないので、運動靴というよりは「高そうな衣装」に見えました。

     女性のロングスカートは鮮やかな青色で、中に履いたスパッツがうっすら透けて見える布地でした。また、Tシャツの胸元は胸の谷間が見えるかどうかギリギリのラインまで開いています。クールなエロスを狙っているのだろうと思いました。男性がシャツの左胸に可愛らしいブローチを2個付けていたり、もう1人の男性は短パンで足の肌がある程度露出していたり、衣裳がもたらす効果に気配りが見られます。衣裳なんだから当然といえば当然ですが、この俳優さんたちは普段はきっとこんな服は着ていないだろうと思いながら眺めることになりました。

     壁に取り付けられた白い箱や、舞台中央奥の隅っこにポツンと建てられている白いロッカーを開くと、穴とともに草木の緑色が現れました。壁と床の白地に茶、緑といったアースカラーが配色され、やがてあるタイミングで、ロッカーの穴から黄色いパンティーや真っ青なブラジャーなど、色とりどりの女性の衣服や小物(ゴミ?)が、おもちゃ箱をひっくり返したように引き出されてきます。カラフルな洋服たちが紐に吊り下げられ、洗濯物を干したような状態で舞台を横切って宙ぶらりんになりました。

     画としても見栄えがするし、空間全体に与えるインパクトも鮮烈で巧妙だと思いましたが、全てがいかにも狙った感じに見えてしまい、どうにも苦手でした。たとえば俳優の動線についても、演技スペースの周囲を走ったり、教室の窓枠を使ったり貪欲にチャレンジされていましたが、「チャレンジするための行為」にとどまっていて、私にはあまり効果的だとは感じられませんでした。ハイセンスな映像演出も含め全体がインテリジェンスでのっぺりと均一化され、“ある定型(パターン)”になっているように感じました。

     画集の中の1枚の絵について語るシーンから始まり、それと相似するシーンで終幕します。絵の中の人物が自分を見ている、もしくはその人物は私自身であるという視点を美しく示し、自死したのかもしれない緑子や、その他の「不在」になった人々もまた自分自身であるという、当事者性をはっきりさせるのが潔いと思いました。

     紅一点の女優さん(武井翔子)は主に緑子の友人の「イヨ」役でしたが、時には回想シーンで緑子役を演じることもあり、最後には「イヨ」でもあり「緑子」でもあり「アヤ」でもあるという、1人の人間なのに3人、もしくは無数の人類を代表する生命体といった存在感を担われていました。こういう瞬間に立ち会えた時、舞台を観に来て良かったと思います。

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    2014/04/02 11:24

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