海を越えた挑戦者たち 公演情報 劇団俳小「海を越えた挑戦者たち」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    全てが負けからのスタート!
    私の記憶に残っている一番古い甲子園出場高は沖縄返還後の1975年赤嶺投手要する豊見城高、勿論監督は栽さん。
    あの時のアルプススタンドでの応援が、テレビ観戦にも拘らず、他と何となく違うと感じていた。それは、沖縄の皆さんの思いが深く単なる野球の応援ではなく、沖縄自身の戦いなのだということが少なからず理解できました。

    「幻燈辻馬車」とは全然ちがう顔の俳小の舞台に劇団の懐の深さと厚みを感じた。

    ネタバレBOX

    甲子園出場を果たし、惜敗に満足している選手や監督たちに、檄をとばす”勝つ喜び”は”本当に負けた悔しさがなければ味わえない”"本気で勝とうと思わなければ負けても悔しくない”という岩佐勝利(役名)の言葉は重く深かった!
    そして、甲子園の土を持参するも沖縄本土には持ち込めず、捨てられた場面は胸からこみあげるものがあった。(まだ返還前米領土で当時の米貿易植物法により持ち込み不可)。
    応援とプレーが一つの見せる場面とても臨場感ありました。

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    2014/03/23 19:24

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