「若者」を、タンポポの綿毛に載せて。
ヨーロッパには「仮面舞踏会」が開催されてきた歴史がある。
貴族たちが派手な仮面を身に、素顔を隠したまま踊り、そしてアルコール類を嗜むパーティだ。
オペラ『こうもり男爵』は そうした 男女が出逢う場を活用した「大人のドラマ」だろう。
仮面を身につけた紳士は、タキシードを着用している以外、全く変わらない「マネキン」だろうか。
そうではないだろう。
「声」が一人ひとり違う。
短髪白髪の紳士に、「あちらのテーブルのワインをお持ちしましょうか?」と訪ねたとしよう。
もし、その紳士が あの「声」で「白ワインを二、三本」「できるだけ白ワインで」と返事をしたら、それは間違いなく久米宏だろう。
要するに、ヨーロッパは「声の文化」なのである。
クラシック総合情報メディア『BRAVO!』によると、オペラの音域は最低でも6段階があるという。
「オペラに登場する歌手たちは、声の高さや質によって役を決定されます。男声は、高い方からテノール、バリトン、バス、女声はソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルトに分けられます。これは単純に音域のみによる分け方で、この他に音色による分け方があります。レッジェーロ、リリコ、リリコ・スピント、ドラマティコなど、軽さ、強さで声質を表わし、登場人物の性格や年齢、役柄に最適な声質の歌手をあてます。」(「オペラの基礎知識」より)
私自身、昭和音楽大学でオペラ史に詳しい有田 栄 同大学教授の話を伺ったことがあるが、本当は さらなる複雑音域があり、「カストラート」と呼ばれる高音域を発声するため、昔は少年歌手が去勢されたらしい。
これが、ヨーロッパの「声」に対する こだわりである。
私は『ダンテ』原作は把握していない。だが、この「声」に対する信仰的な連帯は ヨーロッパ文化であった。
「ミサの時間」は、場所を離れた三人のSNSユーザーがタブレットに流れる「ユリ」の「声」を聴きながら、ヒップホップダンスをする行いだ。時は2018年だという。
※ネタバレ箇所
また、本作は「青春」ではなく、「大人」だが、いずれにせよ、クライマックスへ至る「ドラマ性」を より表現しえる手段は なかったか。アプローチすべきだ。
音響、照明を排する「颯爽とした会話空間」の試みは、未来の若者に映す「ポスト3.11」として理解できた。
役者陣が何というか、「群像」をニヒリズム的に演じており、時折「想い」は 伝えるのだが、それが「関係打開」へのキーとなっていることは 一種の示唆である。
さて、鍵穴はあくのだろうか。