SISTERS 公演情報 パルコ・プロデュース「SISTERS」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    じわじわと、潜っていく。
    どうしてだろう。長塚圭史という人の、覚悟みたいなものを観た、という気がしている。責任を、引き受ける、そんな感じ。すごく面白かった。

    ネタバレBOX

    独特の、劇的なせりふまわしに、驚いた。「町に行け!」「町なんて退屈だわ」など、どこか、英米の翻訳劇チックないいまわし。今時のはやりを指向していないということを、はじめから表明しているのかな、と思う。

    セットも、リアルなホテルの一室……にしては、随分しらじらしい、昔のホラー映画に出てきそうな感じ。壁から床にかけて、グワっとわざとらしく開いている大きな亀裂(こんなに目立つのに、作中、誰も、ひとことも、言及しない)も、はじめから、観念の世界を、現実に重ね合わせるという意図を表明しているかのようで。

    そしてとどめの、松たか子の演技(凛とした佇まいに惚れ惚れします)。彼女の演じる馨は、非常にそらぞらしく、劇的な言葉を、淡々と、かくかくと、だからこそヘンに芝居がかってみえる、そんな演出。

    こんな、どこか……いや、はっきりと、そらぞらしい状態が、結構つづく。ちょっと、つらい。観客が入り込むことをこばむ感じ。意図的に。それでいて、ことばの端々に、なんだか色々なことをほのめかすような部分があって、聞き逃せない。目より、耳を使って、聴く芝居。

    これが、全部、じわじわと、土に水がしみこんでいくみたいに、少しずつ効いてくる。物語が、潜っていく。過去に、空間に。そして、観客にも。

    前作『失われた時間を求めて』を観て、失敗だと思った。それは、日本という演劇の確固とした歴史のない国で、歴史が必要な、海外の不条理劇をふまえてしまったから。欧米の演劇には、しっかりとした伝統があって、いくつもの型がある。不条理劇は特に、ある種の型を前提にして、それをひっくり返す。型のない日本では、ひっくり返したいものが何なのか、全くわからなくなってしまう。でも、観ながら、長塚圭史さんは、欧米的な、伝統に基づいた型みたいなものを、歴史みたいなものを、求めているのか、と思った。

    今作の、あの前半は、僕らに、歴史を植え付けようとしていたのか、と思った。歴史がないなら、作ってしまえと言わんばかりに。物語が潜っていくとき、まっすぐには潜らない。核心を、微妙に避けて、螺旋を描くみたいに、沈降していく。僕らは、前半、頭に焼き付けた、この物語の歴史を総動員して、自分たちで、核に迫らざるを得ない。絶対的な言葉はでてこない。でも、「一度言ったことをなかったことにするのは難しい」のだ。そこに、僕らの、劇作家への信頼は生まれる。なかったことにはしない、ということ。作家は、観客を信じている、と思った。応えよう、と思った。

    歴史をふまえる、ということは、責任を引き受ける、ということだ。引き受けない人々と、必死に、逃げようとする自分を抑制しながら、正面切って対決しようとする馨の姿が、とても痛々しくて、でも、驚くほど、目をそらせなくて。僕は、この物語を、引き受けようと思った。そして、どうやら、自分の歴史を自分で作ることを覚悟したような作者の思いも、引き受けようと思った。

    全部、気のせいかもしれないけど。

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    2008/07/08 00:00

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