東 京<reprise> 公演情報 THE TRICKTOPS「東 京<reprise>」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    東京駅は結構面白い場所なのだ
     東京駅という漠とした空間を、カフェ、インフォメイション、忘れ物預かり、タクシーなどと其処で働く人々と客、仲間同士の会話等で埋め、タウン誌編集者、何でも屋、電車に乗らない乗客、矢鱈に喧嘩するカップル、駅員、待っている女等、様々に特徴のある登場人物を巧みに配し、細かい所まで配慮した演出でヴィヴィッドに造形している。役者陣の丁寧な演技が、演出の意図をキチンと汲み取って自然な演技に仕上げているのも良い。

    ネタバレBOX


     唯一、問題があるとすれば、それは、作品の問題であるというより、この国の文化の質、人間関係の作り方の問題と言ったらよかろうか。言い方を変えれば、誰しもが幸せを漠然と願わなければならないような状況がありながら(つまり実質、不幸せでありながら)、各々は、幸せの何たるかを定義できず、唯、雰囲気で何となく幸せらしい、とか。何とか飢えずに済んでいるのだから、幸せらしい、とか。隣の人より、良い物を着ているから幸せらしい、とか感じているだけのこの国の在り様に対する根本的な批判が無い点である。無論、この国では、歴史的にこのような不如意を思い遣りや慮りで何とか誤魔化してきた歴史があることを否定する訳ではないし、そのことに有効性がまるでない、と言うつもりも無いが、メンタリティーのみを問題として居る限り、この国の根本的な問題には手をつけることさえできないこともまた事実なのである。
     一例を挙げると、誰が見ても、破綻している“もんじゅ”によるエターナルなエネルギー計画が、政府の政治的判断でどうにでもなったり、原発のみならず、原爆を含む核技術そのものは、一旦暴走したら、現在の我々が持っている技術では制御出来ないことが明らかであり、その惨禍は、全地球の全生命を危機に晒すか絶滅させる危険、或いは、緩慢な死なり、遺伝子の劣化なりを齎すと考えられるにも関わらず、これを政治的に圧殺していることなどである。物理法則に則った絶対が支配する論理を基礎に置いて物を考えない、という態度は、馬鹿をしか意味すまい。無論、物理学の最前線は、理論的に確定していない部分が多いのは承知の通りだ。然し、地球物理学でニュートン力学が正しければ、現在、この地球上でそれは、絶対に正しい論理なのである。其処から帰納、演繹を正しくして行く限り、間違いが起こることは無い。日本は、宗教をも単なる衣裳とする国である。そうでなければ、異宗教間・異宗派間の論争は絶えないハズなのであるが、そんな論争はめったにない。あれば、寧ろ例外なのであるが、例外というからには、原則があるはずなのに、原則はないのだ。あるのは、唯、功利的な計算だけである。もう一つのケースが、個人的に、日本の限界を見切っている場合である。そういう個人は一種のコスモポリタンとして、日本のプリミティブな思考の埒外に立つことができ、世界に通用する論拠を持つことができる。今作で描かれた東京駅が、このような思考領域で何処へでも行ける“場”であって欲しいものである。

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    2014/03/09 02:09

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