満足度★★★★
芝居としては5 イデオロギー的には4
普段は青森で活躍している作家の作品だ。青森と言っても青森市ではなく弘前である。現在の青森県には旧、津軽藩と南部藩が含まれ、余り仲は良くない。気候帯も青森辺りから亜寒帯に入ると記憶する。昆虫の分布などにも明らかな差が出る。
弘前は自分も好きな町だが、弘前城址で眺める桜はまた格別であろう。残念乍ら、桜の時期に弘前を訪れていないのだ。城址から眺める岩木山、標高は大して高く無く1625mだが、富士山型の山容から津軽富士とも言われ、本丸天主閣など主要な城郭を喪失した弘前城址から眺める景色は当に絶景。
ところで、貧しい地域の暮らしは厳しい。村八分にされたら、乞食同然の暮らしを余儀なくされるのは必定。原発廃棄物の受け入れを肯んじたのは、無論、この貧しさを背景にしている。娘の身売りはもとより、飢饉の折には子を喰らうような歴史もあったであろうし、水争いで死人が出る話など、農村の古歴史を当たれば必ず出てくる。その為に、溜め池を作り、人柱を立てた話もいくらでも転がっていよう。1603年に江戸幕府が成立してから1868年に幕府が崩壊するまでの間に、日本の総人口は、余り増えていない。そのような背景にあった歴史的事実が子捨て、子殺しの系譜である。中でもかつて征夷大将軍が征伐すべき地として規定されていた東北地方一帯の窮状は、酸鼻を極めた。東北の人々とホントに仲良くなって本音を確かめてみるが良い。中央に征服されたという意識が見えるハズである。このような状況に置かれていたからこそ、会津藩のように幕末に幕府側について徹底抗戦した勢力が出たのである。つまり、冒険はできない体質なのである。そのような哀しさが、大人しさとして滲みでるような舞台であった。自分の目指す世界とは正反対なので、イデオロギー的に、自分は、この作品を評価できない。然し、演劇的には、上記に上げた様々な要素を考えさせる舞台であったし、知的で、上手に歌舞いた舞台であった。