新説・とりかへばや物語 公演情報 カムヰヤッセン「新説・とりかへばや物語」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    性別と役割。
    とりかへばや。男女の役割がなぜ入れ替わったのか。なるほどそういう発想でくるかーありえそうな話だなと思った。
    格子の向こうに役者が控え、場面転換に拍子木の音が小気味よく響く。粋ですね。見ごたえのある作品でした。
    よし乃と兼義のやりとりをみて、自分をどう捉えるかとは違うところで、性別に対する変えようのない意識があるのかなと思った。

    ネタバレBOX

    噺は女のものだった。それがなぜ男のものになったのか。
    芸事で生きるには色が絡みやすいということか。
    女が舞台にたつことを取り締まることで、乱れをなくそうというのは奉行の考えそうなことだ。事実ありえそうな話。
    しかしその発想は寺の女人禁制と同じで、解決にはなってない気がする。
    とくに役者や踊り子などは、色を売らねば生きていくのは困難だったろうし、それは女に限らない。芸のために身を売っていたのは男女問わないはず。ならばなぜ女だけが守られるのか。守られたといえるのか。そのために女は舞台から退けられる。

    「本当はどちらなのかわからなくなる。私は男なのか、本当は女で男が好きなのか」
    男なのか女なのか生まれついて体は違うものの、どちらとして育つか、生きるかで揺れ動き、幅のあるものだと思う。

    いまでこそ性別ではなく個人の得手不得手でいろんなことを選べるが、性別と役割は決まった組み合わせのようなものとして捉えられてきたから、そこから外れようとするなら、それこそ性別を替えることを選んだかもしれない。

    算術が得意な女と、噺の上手な男の、逆転した役割を、変えられぬならばいっそ性別を入れ替えようと。
    けれど。彼は算術が苦手でも男で、裁縫が苦手でも彼女は女。
    「私が女だったということでしょうか」「いいえ私が男だったということでしょう」
    なにがそれを決めるのだろう。己の性自認かな。

    けれどこれが真理だと思いました。

    0

    2014/02/24 22:30

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大