カルメン 公演情報 シアターカンパニー 象の城「カルメン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    設定は興味深い
    が、全体の構成と演出意図がびみょー。
    新規さにとらわれすぎて、一番大切なものを見失ってはしまいか。

    (長文失礼)

    ネタバレBOX

    ざわざわ感の残る舞台に立つ女子大生が「なぜドン・ホセがカルメンを殺したのか」の研究発表を始める。この導入部分はいい。
    彼女の仲間が『カルメン』を演じながら、「なぜ」を探っていく、という展開になるはず。
    しかし、劇中劇が始まるやいなや、その「劇中劇」に発表者である女子大生が取り込まれていく。

    そこで、劇中劇への視点が変わる。
    劇中劇は、発表者の視点なのか、発表者を取り込んだ劇中劇からの視点なのか。
    さらに、そもそもの、「研究発表」自体が、「劇」であって、そのことはラストに近づいて行く中で強調される。

    そういう「視点」のブレていき方は面白いと思うが、本来の「視点」、「何を見せたいのか」をポイントとしてきちんと整理すべきではないだろうか。

    発表者である女子大生の立ち位置がわかりにくい。
    劇中劇に取り込まれたときには、死刑になるところを逃げてきたドン・ホセの人質のような立場。つまり、「ドン・ホセが自分の話を聞いてほしい」と女子大生に言ってくるという「聞き手」の位置。

    そして、女子大生はその話を聞く、という体(てい)でストーリーが動き出すのだが、ストーリーへの関わり方は、もとの「発表者」としての女子大生というよりは、「今、演劇に出ている、女子大生の役を演じている人」の視点なのだ。特にラストにかけては。

    つまり、「発表」といいながら、何かがわかって発表しているというのではなく、「観客と一緒にそれを探っていこう」というものだとも言える。

    であれば、それを観客に知らせないとわかりにくい。
    そして、彼女がなぜ「なぜドン・ホセがカルメンを殺したのか」をテーマに選んだのか、が見えてこないので、ラストが唐突なのだ。

    「シアターカンパニー象の城として、この公演に参加している人たち」という立ち位置が常に意識される。
    ラストの女子大生役の感想もそうだが、「では、この公演はあなたたちにとって何だったのか?」が問われているはずなのに、役から役者に戻るシーンでは、各々感想がとても薄い。「え?」って思うほど。

    最初の役者紹介にしても、「自分の言葉がない」。
    ここは本来の台詞がない部分なのだろう。
    にしても、あまりにも貧弱だ。
    そして、最も大切な女子大生の、最後の感想はあまりにも浅くて薄すぎる。

    ドキュメント的な要素を入れ、「劇」「劇中劇」を上演してまで、つまり『カルメン』を上演することで「何か」を「知りたい」「得たい」という欲求があったはずだ。

    当然、その段取りはある程度予定されていたのだから、各役者は自分の設定された役、つまり、「カルメン」を演じる発表者の仲間の設定の役になり切って、どうこれから取り組んでいくのかを見せ、さらにそれがどう自分(たち)に作用したのかがないと、まったく意味がない。

    ラストで発表者の女子大生が「演じた彼らも……」という台詞を言うのだが、演じた彼らの立ち位置も意味合いもまったく表面に出てきていないので、見ている側としては「知らねーよ、そんなこと」になってしまう。

    女子大生本人は、「愛」とか「情熱」とかそんなものを信じていないまま公演をしていたが……と、ラストでようやく語り、自らの公演に感動して話しているのだが、それが伝わってこないのだ。「何」に「どうして」感動しているのかが。
    そこから丁寧に伝えようとしなければ、女子大生役が涙ぐんだりしていても、しらけてしまう。

    自分たちだけでわかったつもりになっていてもしょうがない。

    「それ」を「見せる」こと、「感じさせる」ことがこの作品の目的なのではないだろうか。
    つまり、自分たちが感じたことを、「感じました」とだけ言うだけでは作品としての成り立たない。

    自分たちが作品を作り上げる上で「感じた」ことを、いかに観客に伝えるかが、大切なのではないだろうか。それがこの作品のキモではないか。
    演出は、それをもっと掘り下げなくてはダメだ。

    自分たちが感動しただけ、のレベルでは伝わらない。
    伝えるためには、手順を追って、説明する責任がある。

    「言いたいこと」が本当に、ドキュメント的にラストの女子大生の台詞に集約されているのならば、もっとシンプルな構造でも十分ではなかっただろうか。

    叫ぶ台詞が(特に前半)多いのだが、叫んで効果を出すのならば、叫ばない台詞も大切だ。ムダ叫びは聞いていて楽しくない。

    カルメンのキャラ設定が、彼女の激しい口調で見事に現れていたのだが、すべて同じ一本調子なのが辛い。演出が気を回さないと、役者の苦労が台無しになってしまう。
    もっと、シーンによって演技(演出)を変えたほうがいい。
    今のままだと、カルメンという人が、自由奔放なでけの、深みのない女性にしか見えてこない。

    主人公である女子大生が、自分が信じられないことを、「カルメン」という演劇を通じて、その中に入り込み、ストーリーに思考を預けながら、辿っていくというというのがこの作品ではなかったのだろうか。

    であれば、先にも書いたように、「カルメン」という演劇を選んだ理由が、テーマにかかわってくるし、そうした一番大きな全体像が、小手先のメタな設定に気を取られて、しっかりと提示されていないことが残念でたまらない。

    また、主役であるドン・ホセは、人となりや、内面がなかなか見えてこない。葛藤が見えてこないのだ。ラストのほうでなんとなくぼんやりと見えてくるのだが、それでは「なぜドン・ホセがカルメンを殺したのか」という命題がクリアになっていかない。
    女子大生が辿る意識の中(劇中劇)の主人公であるドン・ホセは大切なキーマンだからだ。

    つまり、女子大生の意識=ドン・ホセであったのではないか。

    面白い要素はいろいろあったし、意欲的な作品だと思ったが、この作品のレベルを上演するのであれば、課題は多いと思う。

    しかし、ちょっと気になる劇団ではある。

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    2014/01/06 07:30

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