gymnopedia 公演情報 ミヤタユーヤ「gymnopedia」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    カーテンコールの奇跡
    褒めているのかどうかわからない言い方で申し訳ないが(詳細はネタバレBOXにて)、舞台後のカーテンコールが素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    そもそも、この作品で描かれているエリック・サティ像は、私が想い描いていたサティ像とは違うものであった。私はサティをより反骨的な人物だと思っている。「家具の音楽」にしても、「私の音楽を聴くな」というのは「BGMとして聞いてください」というようなものではなく、当時のロマン主義全盛の音楽界にケンカを売っている、更には「芸術とは何か」を根底から問い直す批評的・反骨的な行為だったと認識している。ダダイスムに関わっていたことはその証左だと思う。ただ、私はサティについて詳しくないので、私の認識の誤りかもしれない。また、そもそも事実は確かめようもなく、それに作中でも「これは私が想像したエリック・サティの話」と断っているのだし、ミヤタユーヤ氏独自の大胆なフィクションとして仕上げているので、その点はどちらでもいい。

    ただ、事実がどうかはどちらでもいいのだが、ミヤタユーヤ氏がサティ像を自分に引き寄せ過ぎているように感じたのは気になった。「美しい音楽を奏でる際は、美しい動きになる。だから、その動きをすることから始めていった。」というような部分は、ダンサーでもあるミヤタ氏自身の考えを重ねて書かれているものだろう。作品に、サティの顔でも、サティから距離をとった脚本家の顔でもなく、ミヤタ氏自身の顔が透けて見えてしまうのは、少し興ざめだった。(勿論、その点が良いという人もいるかもしれないが。)「美しいものは正しい」というのも、サティの言葉ではなく、ミヤタ氏の信念のように聞こえた。

    そのような部分から、ミヤタ氏が自分にサティを重ねて描いた物語なのだろうと思って観ていたので、「天才」「天才」と連呼される部分に、最初はとても違和感があった。そもそも私は、特殊な表現者を「天才」などと神聖化するのが大嫌いだからだ。そう思っていたら、物語の後半でひっくり返されて、サティの天才像は、盟友のクリス(虚構の人物?)と共に創り出されたものだとわかる。

    そのクリスも、「自分は天才と豪語していたが、実は、ただの凡才だったのだ」と告白して、死んでいく。その死んだクリス(Kris?)の想いを背負い、Eric Satieと Krisとの共同作品として、Erik Satieが生まれたという話。(ただ、イニシャルからkをとったなどとは語られないので、クリスは一般的なCris という表記で、単に本名と芸名の差異というだけの意味なのかもしれない。) 

    いずれにせよ、この大胆な創作物語は面白かった。天才がいる訳ではなく、様々な出逢いや影響の中で天才と呼ばれる人物が作り出されていくということだろう。

    終焉後のカーテンコールで、ミヤタ氏は、「この作品は、自分が書いた言葉だけではなく、様々な友人の言葉を脚本に使わせてもらっている」と述べ、「自分一人でできた舞台ではない」ということを強く語った。そして、照明・音響・製作などのスタッフにも感謝の念を述べた。それが、まさにこのサティの物語で語られている内容と重なっていた。「エリック・サティは一人の力で生まれたのではない、この舞台も私一人の力で創りあげたのではない」とでもいうように。

    その際、想いが溢れたのだろう、ミヤタユーヤ氏は、時に言いよどみ、言葉を詰まらせながら、ゆっくりと言葉を発していた。その姿、呼吸、空間のすべてが、今まで演じられてきた舞台そのものよりも、凄い作品となっていると感じた。これが本当の芝居であり、踊りだとさえ思えた。

    (この点まで踏まえれば、満足度は★4だが、あくまでこれは作品外と判断し★3)

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    2013/12/01 23:11

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  • ミヤタユーヤ 制作スタッフ様

    私の、生意気で、部分的に失礼ともとれる感想に対して、丁寧にコメントをいただきまして、ありがとうございます。

    実際に存在した人物を基に、創作をするというのはとても難しい作業ですよね。
    批判的な意見を書いてしまいましたが、とても良くできた作品だったと思います。
    ミヤタユーヤさんの表現として、とても完成されていました。

    また、「観てきた」にも書いた通り、千秋楽のカーテンコールが本当に素晴らしかったと思います。
    私は、普段ドキュメンタリーを中心に映像表現を行っている関係で、フィクションとして作られたものよりも、人間の素の部分に興味が行ってしまう傾向があるのです。
    そういう観点で見ると、カーテンコールでのミヤタユーヤさんの姿に、彼の生き方・考え方・人間性などのすべてが表れていたような気がして、それこそが「踊り」のように見えたのです。

    そして、その彼の人間性に(表現性も勿論ですが)、様々なスタッフが(制作スタッフ様もその一人だと思いますが)、協力し、皆で創り上げた舞台なのだなとよくわかりました。
    そして、それが舞台で語られたサティの話と重なっていたという。
    本当に素晴らしかったです。

    今後の活動にも期待しています!

    素晴らしい作品を、ありがとうございました。

    2013/12/08 13:52

    ご観劇、そして観てきたコメントのご投稿、誠に有難う御座いました。

    ご指摘いただきましたように、史実として伝わっているエリック・サティの人物像、その主張に関しましては、今公演にて描かれた人物像とは必ずしも一致しない部分が御座います。

    飽くまで自らの信念を、経験を、思想を、メッセージとして客席へ届けることを目的として物語を操作する、という手法が、ミヤタユーヤの作家性ともいえる特徴で御座います。
    今作のように実在の人物にまつわる物語を上演する際、創り手自身の姿と作中の登場人物との見せ方のバランスは、非常にデリケートな部分でも御座いました。
    登場人物へのリスペクトを欠かず、且つミヤタユーヤ自身の意図する表現として伝わっていてほしいと、願うばかりで御座います。

    また、千秋楽をご覧いただき、カーテンコールにそのようなご感想を頂戴しまして、驚いているとともに大変光栄で御座います。
    一人舞台という公演の性質もあいまって、より一層スタッフや応援してくださる方々との結びつきを大切に感じた製作過程で御座いました。
    作品の内容のみならず、創り手、演じ手自身の人柄にまで感じていただけたことに、表現者として大変有難く、幸せなことであると感じております。

    この度、縁あってたんげ五ぜん様にご観劇いただき、貴重なご意見ご感想を賜りましたことを活力にし、更なる創作活動に励んで参ります。
    今後とも、ミヤタユーヤの活動にご注目いただければ幸いに存じます。

    この度は、誠に、有難う御座いました。

    制作スタッフ

    2013/12/07 16:36

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