ロラ・アリアス『憂鬱とデモ』 公演情報 KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭「ロラ・アリアス『憂鬱とデモ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    成程・・
    舞台作品は、これ位シンプルで良いのかもしれない。

    寄り添うようで、冷徹なくらい突き放すようにも見え。

    透徹する美しさを湛えるようで、利己的な醜さを見通すようで。

    憂鬱は才能の代償なのか?

    豊かな人々が集う地域で満ちる憂鬱。

    反対にデモに参加する群衆は、生活に苦しみながらも怒りと言う名の生命力に溢れているようにも見える。

    ネタバレBOX

    リアルなようで、目指すところはその真逆にあるようにも見える。

    母親の代役に立てた役者の仕草。

    最初、本人と見紛うばかりに見えたそのリアルさは、
    時間を進めるごとに色褪せ、
    他の役者たちの遊びにも似た帽子やつけ髭の変装によって、
    母親の変化に満ち、恋と歴史に翻弄された人生は、
    運命と言う名前のドラマと言うよりはむしろ
    生活に飽きた天使の、エサを付けない釣り人にも似た手慰みの一種にも見えなくもない。

    この舞台の美しさは、
    母親の悩みの深さや悲しさから来ている訳ではないように思う。

    (生活のためにデモに参加する群衆に比べれば遥かに人生を空虚に浪費しているように見える)
    母親の儚い人生もまた、デモに参加する群衆と同じように
    投射される映像が音楽とともにスクリーンが畳まれるごとに
    光の粒に分解されるように消え去って
    同じ年代の役者たちが空虚さを暴くように陳腐な療養を再現するのを眺めながら、
    人生や生命もまた同じなのだと、
    川の倦む流れを見るように感じられる瞬間があるからのようにも見える。

    「憂鬱は才能の代償」
    それこそ、この物語の一番の皮肉(タイトルから見ても分かる通り?)
    であり、笑いどころなのかもしれないな、とも思った。

    富者の憂鬱も、貧者のデモも、
    やがては消尽して一つの音の中におさまるように。

    芸術センターの元校庭とか余ってるんだから、
    ここら辺で釜ヶ崎の紙芝居劇団でも上演すれば、
    もう少し、イベント全体が、身のあるものになるのではないかとも思ったりもした。

    もし主催者が事前にこの作品を観ていたのなら、その位の自己主張があった方が、この作品も孤独ではなかったのかもしれないな、と思ったりもしたり。

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    2013/10/29 23:40

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