ふと、立ち止まり、語り出す 公演情報 So Creative「ふと、立ち止まり、語り出す」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    面白い方法論
    脚本の形式がとても斬新で面白かった。

    ただ、物語の内容自体は平板な印象。

    ネタバレBOX

    役者の演技はすべてモノローグか、対話相手を想定しての独り演技。
    その演技が複数、一つの舞台上で同時に存在している。

    このように書くと、単にバラバラの演技をしているだけだと思われてしまうかもしれないが、そんなことはない。
    役者Aが対話を想定している相手は、役者Bと重なってみえたりする。それぞれが全く別の会話をしながらも、それが対話になっているかに見えるように構成されている。

    これによって、観客は、劇場空間に再現された劇の一場面を観るのではなく、異質な他者が行き交う世界そのものの縮図を見ているような感覚に襲われる。街に行き交う人の群れも、その一人一人の中にはそれぞれの物語があり、その物語の中で当人は主人公である。それが世界を形作っている。世界があってそこに人がいるのではなく、異質な人間が集まることで世界が形成されている。その縮図を見ているようだ。

    異質と言っても、そこで各々が抱える苦悩は重なる。そして、そこで交わされる会話も似通っているものだ。その共通項が、この舞台をギリギリのところで解体させずに保っている。
    脚本上の技巧の問題だけではなく、舞台と観客の想像力を繋ぐものとしても。

    私が、この方法論を観たのは初めてではない。
    TOKYO PLAYERS COLLECTION(作・演出:上野友之 )『IN MY TWENTIES』でも、似た演出が試みられていた。(私は上野友之作品はこの作品しか見ていないので、彼がよく使う手法なのかは知らないが、この演出にはとても驚いた。)
    正直に言えば、上野氏の演出の方がはるかに巧妙だった。役者Aと役者Bは本当に会話しているのだと芝居にグッと惹きつけられていると、「あっ、これは別の人と対話しているんだ」と異化される。その緊張と緩和のバランスも絶妙だった。また、上野作品では、かつて自分が他者に言いっていたことが、別の場面では、相手を変えて自分が言われていたり、またその逆など、自己と他者の境界、自己の変化の問題などもそこから受け取ることができた。

    今作でも、そのような問題も描かれてはいるものの、いまいち入り込めなかった。ただし、上野氏はこの方法を部分的に使っているのに対して、今作では全編この方法で作り上げているので、その点を比較して是非を論じるのは適当ではないかもしれない。後者の方が、方法としてはるかに困難だからだ。

    全編この方法を用いたという実験精神に敬意を表したい。

    ただ、その方法を抜きにした物語内容自体は平板だった。
    大きな困難に直面した4人の主人公が、人生に絶望するも、それでも起き上がって生きていかなければならないと前を向くという話。
    物語として物足りなかった。

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    2013/10/12 10:39

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