「詞」が交差する緊迫した場
「女の心は秋空のように移り変わりが激しい」という。
だとしたら、「女心」に溢れた舞台であった。
ゲネプロ中(通し稽古)、劇団の主演女性が謎の死を遂げる序章である。
そうした光景に接した時、誰しも「密室ミステリー」の展開を待ちわびるだろう。
だが、「推理」の時間は無駄だった。目の前に拡がる「叙情的な人々の姿」こそ、話の本質ではないか、と考えたからだ。
「あなたの笑顔は太陽の光」
これは、ゲネプロ部分の台詞ではない。
亡くなった女性に対し、劇団員が述べた詞である。
ゲネプロの舞台それ自体、「叙情的」な雰囲気を醸し出す内容だった。「不確立」の点を考えると、その後の本筋に比べ残念でもあった。
虚無性、秘めたる内面、繊細な主張…。
登場人物達を表現する身体性を感じることができなかったのである。
稽古中に役者が亡くなり、劇団員で討議する姿ー場に「人間の横顔」を見せる舞台は今までも造り上げられてきた。
それを魅せる「条件」は、稽古をディフォルメ化せず、「観客を騙す」努力を怠ならないことに尽きる。
本筋の、劇団員が討議するシーンは何度も言うが「叙情的」であって、防空壕に逃げ込む緊迫感すら共有できた。劇的にスポットライトを当てるべき登場人物は変わるのだが、周囲の「視線の交差」が立体感を与えていたのはいうまでもない。
それだけに、観客の心に残るオープニング(ゲネプロ)が必要だったと思うわけだ。
また、今回の作品は新作らしい。
しかし、今年3月相鉄本多劇場(横浜)で上演された新宿アクテビティズム『ホームステージ』と 等しい構成だった。
1ー劇団員たち のドラマ
2ー劇団の崩壊をテーマとする(その過程を、ワンシチュエーションで描く)
3ー稽古(本番)の後の『討議』が本筋
4ー台詞量が ほぼ均等
5ー主宰の人物設定
一体、私は何が言いたいのだろうか。
新宿アクテビティズムの公演は、「新人公演」の形式であった。
毎年『ホームステージ』という作品はキャストを変えて上演され続けている。
軸の「主役」を置かずに台詞量を全キャスト均等にしたのも、「ショーケース」の役割を担うからだろう。
「新作」のはずが、新人公演の「伝家の宝刀」と同じ構成だったのは「キャストを平等にみせる」意識が働いた結果のはず。
たしかに「キーマン」は いた。
そして、その存在が叙情的なベースに包まれていた「密室サスペンス」を再び現せた張本人だった。
この展開には、騙された。
※ネタバレ
「アッ」と言わせる展開ではない。こういった面が結局のところ「叙情的」な所以なのかもしれない。
「キャストを平等にみせる」のは、一つの試み である。
ライトアップの何度も当たる人物がいれば、一度や二度しか当たらない人物がいても よい。
別の言葉に言い換えると、主人公の視点である。
一度や二度の後者に、私たちは案外、意外性を持つものだ。
2013/10/02 09:42
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