アポリア 公演情報 アポリア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.8
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★

    ちょっと無理っぽい
    役者さんの力演がありましたが空回りしていました。それは、演出・脚本の流れが不自然なためで、ちょっと無理っぽい感じがあり、観ていて「?」がつきました。

  • 満足度★★★

    シナリオをしっかり
     毎回決めたテーマに沿った作品作りをしている劇団のようだが、今作は内容的に推理物に入るだろう。だとすると、場面と状況の設定が甘い。

    ネタバレBOX

     常識的に考えて人が死ぬような事故、事件が起きた場合、直ぐ警察に連絡するだろう。それが、叶わない状況である場合は別だが。警察に連絡しないなら、密室的状況を設定すべきである。プロデューサーのメンタルな問題やその場の雰囲気だけですべきことをしないのは、劇作の原点、論理的に組み立てる、に反する。推理物であれば尚更だ。また、劇中何件もの殺人事件が起こるが、照明の落下にせよ、鋏で刺すシーンにせよ、カッターで刺すシーンにせよ、あの程度では、人は死なない。その辺りのリアリティーを考えない演出は安易と言われても仕方あるまい。百歩譲って照明器具の場合、当たり所が悪かった、ということは可能かも知れないが、小劇場の小さな照明が落ちた位なら怪我はしても大抵助かる。
     また、事件・殺人現場の証拠などをキチンと保存しない演出になっているのは犯人が証拠を消す為であるのは分かるが、推理劇としては、これだけで安っぽくなってしまう。何故なら、劇中、犯人以外の誰かが、その挙動に不信感を持つのが、自然だろうから。兎に角、シナリオが荒い。
     キャスティングにもミスを感じた。役作りである程度のレベルに達していたのが、薮崎 あずみ、ラストシーンでの梨沢 千晴。キャスティングミスもあって、他の役者は、存在感が薄い。シナリオの書き方についても、理想を言えば、劇作家は登場人物の各々がキチンと役柄によって立ち上がってくるように書くべきである。テーマのコンセプトに強引に合わせるのではなく。科白が生きていれば自ずとテーマは浮き上がってくるものだ。
  • 満足度★★★

    解せない部分も・・
    犯人は誰なのか?どんな人間関係なのか?など、自分なりに考えながら観たので、その部分は楽しめました。が、あまりにも人がどんどん死んでしまい、それで犯人が絞られていくので、却って緊迫感が無くなるように感じました。

    ネタバレBOX

    ラストは、犯人の自白(?)でしたが、ストーリーの説明のようになっていたので、ちょっと安易に感じました。周りが犯人を突き止める内容の方が面白かったのでは?と思いました。
  • 満足度★★

    荒唐無稽
    命軽視

    ネタバレBOX

    一年前の弟が殺された事件の真犯人を探し出し、復讐するためためとはいえ、救急車呼べよ、警察呼べよって、この一言に尽きます。

    最近のニュースを見ていると、何か死を判断するのは医師にしかできないような風潮がありますが、それはそうとして、素人が勝手に死んだと判断して放置したとしたら遺棄致死罪にも該当しかねず、もう全員が犯罪者です。

    そして、死に過ぎでした。

    疑心暗鬼の異常な雰囲気が漂う中、真犯人以外の人による殺人まで起こってしまうとは驚きでした。そして、ナイフで刺されたこの時こそ救急車を呼ぶべきでした。

    解決編が必要なのは分かりますが、真犯人が一人のときにこっそり独白しだしたのには笑ってしまいました。で、それを姉が陰で聞いていたというのも不思議な話でありました。
  • 「詞」が交差する緊迫した場



    「女の心は秋空のように移り変わりが激しい」という。

    だとしたら、「女心」に溢れた舞台であった。


    ゲネプロ中(通し稽古)、劇団の主演女性が謎の死を遂げる序章である。


    そうした光景に接した時、誰しも「密室ミステリー」の展開を待ちわびるだろう。

    だが、「推理」の時間は無駄だった。目の前に拡がる「叙情的な人々の姿」こそ、話の本質ではないか、と考えたからだ。


    「あなたの笑顔は太陽の光」

    これは、ゲネプロ部分の台詞ではない。
    亡くなった女性に対し、劇団員が述べた詞である。


    ゲネプロの舞台それ自体、「叙情的」な雰囲気を醸し出す内容だった。「不確立」の点を考えると、その後の本筋に比べ残念でもあった。

    虚無性、秘めたる内面、繊細な主張…。
    登場人物達を表現する身体性を感じることができなかったのである。

    稽古中に役者が亡くなり、劇団員で討議する姿ー場に「人間の横顔」を見せる舞台は今までも造り上げられてきた。
    それを魅せる「条件」は、稽古をディフォルメ化せず、「観客を騙す」努力を怠ならないことに尽きる。

    本筋の、劇団員が討議するシーンは何度も言うが「叙情的」であって、防空壕に逃げ込む緊迫感すら共有できた。劇的にスポットライトを当てるべき登場人物は変わるのだが、周囲の「視線の交差」が立体感を与えていたのはいうまでもない。


    それだけに、観客の心に残るオープニング(ゲネプロ)が必要だったと思うわけだ。


    また、今回の作品は新作らしい。

    しかし、今年3月相鉄本多劇場(横浜)で上演された新宿アクテビティズム『ホームステージ』と 等しい構成だった。


    1ー劇団員たち のドラマ

    2ー劇団の崩壊をテーマとする(その過程を、ワンシチュエーションで描く)

    3ー稽古(本番)の後の『討議』が本筋

    4ー台詞量が ほぼ均等

    5ー主宰の人物設定



    一体、私は何が言いたいのだろうか。
    新宿アクテビティズムの公演は、「新人公演」の形式であった。
    毎年『ホームステージ』という作品はキャストを変えて上演され続けている。

    軸の「主役」を置かずに台詞量を全キャスト均等にしたのも、「ショーケース」の役割を担うからだろう。

    「新作」のはずが、新人公演の「伝家の宝刀」と同じ構成だったのは「キャストを平等にみせる」意識が働いた結果のはず。

    たしかに「キーマン」は いた。
    そして、その存在が叙情的なベースに包まれていた「密室サスペンス」を再び現せた張本人だった。

    この展開には、騙された。


    ※ネタバレ

    「アッ」と言わせる展開ではない。こういった面が結局のところ「叙情的」な所以なのかもしれない。


    「キャストを平等にみせる」のは、一つの試み である。

    ライトアップの何度も当たる人物がいれば、一度や二度しか当たらない人物がいても よい。

    別の言葉に言い換えると、主人公の視点である。
    一度や二度の後者に、私たちは案外、意外性を持つものだ。

























    ネタバレBOX




    ※証拠が「討議中」に残らなかった。自白のみの世界である。

このページのQRコードです。

拡大