「SFの緊迫感と古典性」ー次世代への詞
四部作のオムニバスである。
「人とロボット」を主軸のテーマに描いた、SFドラマである。
時間の流れを確認すれば、一話、四話、二話、三話の順だろう。
「オムニバス」を謳っても、その順番で一つの大作を発表することが まず思い付く構成である。
しかし、ロボットが人の労働をこなす社会の到来した近未来を「立ち会う」にあたり、むしろ断片的だったのは 良 かった。
一シーンごとが、30分前の「ハイライト」なの かもしれない。
それは、個人にとっても、社会にとっても、人類にとっても、文明にとっても。
歴史の分岐点の、30分前を切り取るのである。
筋道を辿ってゆく大作より、「オムニバス」の方が良かったと考えるのは、そうしたシチュエーションの為だ。
緊迫した状況下、ギャラリー公演だから「客席」という逃げ場すら存在しない。
私たちは、「観る」のではなく、「いる」人々である。
目の前に現れたSFを漂う会話劇は、どこかチェーホフの それを匂わせた。
叙情的なのだ。
役者の演説調に叫ぶ姿も、古典的なモチーフを思わせる原因なのだろうか。