会話劇とドタバタ劇の“サンドウィッチ”
米•作家ニール•サイモンの短編集を、コメディ要素は抑えつつ、「言葉のウィット」を満喫するため削ぎ落とした舞台だった。
カリフォルニア高級ホテルのスウィート•ルームへ、ニューヨークやロンドンの客人が やってくる。
4本の短編集はホテルを予約した男女4組の関係を軸としており、それぞれ巧妙な会話劇だった。
途中10分間の休憩は あったものの、作品自体は「3時間」を超える大河ドラマである。
一つ、述べておきたい。
ストーリーテラーの役にあたる従業員は、舞台そのものを 、スウィートルームのベッドシーツを整頓するように「仕分け」したのではないだろうか。
彼女らは一話目の終わり、「女にとって、仕事を選ぶのか。子供を選ぶのか」、それが宿泊した夫婦のテーマだと語り合った。
「彼女、共和党からアメリカ州知事選挙に立候補するかもしれないそうよ」なる噂は、観客にとっても初耳である。
私は、「ずっと覗き見 していた」従業員に 室内を整理する時間を与えるのではなく、もっと語らせるべきだっと思う。
ラスト映し出された、従業員を巡る温かな「シチュエーション」を強調したいのであれば、従業員の静かな演説は必要だった。
厚いビーフジャーキーを噛むには、電話の向こうの交換手の人柄を ある程度 知ることと同じくらい時間が掛かる。
セットのソファを直すのは暗転という名のサービス•マンに任せればよい。
彼女達の手は、隣の宿泊客か、フロントに立つ受付係へ声が届かぬよう、自身のマイクのボリュームを調整するためだけにある。
ニール•サイモンを鑑賞。
フロリダの海で泳ぎたいのではない。
アラスカの凍土を触りたいのではない。
観客は、まるで魚屋の青年が八百屋のオジさんを見つめる その眼差しで、憂愁の米作家を 鑑賞したいに決まっている。
一話目、三話目の来客は、背中で語る舞台を志向する ものだった。
ウェットの引き立つ その会話劇は、耳で聴くべき内容である。
では、カルフォルニアの身体が その憂愁についていったかといえば、そうでもない。
米国人の会話、英国人の 会話に苦戦したのだ。
立ち振舞いを迷ったのだ。
一方、2話目、4話目の来客は、腹で語る舞台を志向するものだった。
いつのまにか、女とホテルのベッドで一緒だった既婚者の男性。
この場所で合流するはずだったワイフが 部屋のドアを開けた際、彼は混乱していた。
その直前、汗をかきながらジーンズを履く姿は 笑える光景である。
ワイフをベッド•ルームへ近付かせようとしない、非暴力的な 試み も同様だろう。
このコメディに、ニール•サイモンの憂愁を漂わせる目的を感じられようか。
「役者を 当て書きした」のではないかとさえ疑った。
もちろん、全体を見渡して、巧みな、コーヒー3杯分の深みを味わえる会話劇だ。
気になるのは、萬劇場が広く感じた点にある。
「香り」は、拡がりを持たなかったということだろう。
2013/09/01 14:08
次回公演に向けて、有機座一同より精進して参ります 。
今後とも宜しくお願い致します。