名演出法は繰り返すーロボットダンス加え
「戦隊もの」から外された、所属なきヒーロー達の密室劇である。
冒頭15分程のプロローグと、その後の展開の関係が判らなかったので、ずっと疑問を持ち続けていた。
プロローグがヒーロー達の「日常風景」だとすれば、その後の展開は「ドラマティック」に進む事件だろう。
こうした理解の下、ある程度は両者の関係性を理解したつもりだったが、疑問を持ち続けなければならない箇所も あった。
例えば、冒頭のプロローグでは「一日前に秘密基地を退出しなければならない」ヒーロー•オオバヤシショウがおり、データマンという同僚が「ルールを守れ」など非難していた。
一方、データマンは米国に出没した怪人を攻めるためのハッキ○グ工作を進行中だった。
また、秘密基地に残れるかを賭け闘う、ヒーロー同士のダーツを投げ合う場面さえ あった。
では、その後の展開において、プロローグの内容が絡んでいたのだろうか?
退出期限の切れたヒーローVSデータマンの関係性は、そこに現れたか?
全くと言っていいほど、そういったプロローグの内容は その後の展開に影響して おらず、私は 疑問を持ち続ける必要があったのだ。
氷山の雪解け水が川上へ落ちたのは、舞台上演後の挨拶によってだ。
メンバー9人が、それぞれ自分で脚本を書き上げ、プロローグを造ったというのである。
つまり、9通りのプロローグが存在することを意味する。
プロローグの目的は、あくまで秘密基地内の「日常風景」を見せることであって、その後の展開には絡ませる役割を負っていなかった。
9通りのプロローグが存在することを知らない観客にとってみれば、疑問を持ち続けてしまうのも無理はないのである。
物語は、中野サンプラザ近くの秘密基地へ「一般人」が忍び込んでいた事実を基に進む。
彼の口から出た基地の外、つまり 日本の状況を聞いた密室のヒーロー達が議論を繰り返す。
シベリア鉄道のように長く細い“謎”に囲われ、観客まで不安に浸る。
チラシには「シチュエーション•コメディ」なる舞台の紹介のされ方である。
だが、大どんでん返しはSFチックの集積体で、ロボット論へ通じる
重厚さが覗く。
科学コメディーדヒューマンドラマ”と表現してもよい。
ストロボを生かした、何度も何度も何度も繰り返す “再演”は身体性そのもの であった。
ロボット•ダンスに観客を裏切るメッセージが備わり、それが 私のいう大どんでん返し へ繋がる。