スウィーティ ドム 公演情報 演劇組織KIMYO「スウィーティ ドム」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    イマージュのミロワー
     映画の中で進展するシーンと会社で進行する事態とが、同一の重さで展開してゆく物語。双方にシンクロナイゼイションが無いといえば、ちと違うのだが、完全に同調しているわけでもない。但し、補完し合ってはいる。それは、とてもデリケートな合わせ鏡のような関係で、この劇団の性格を表しているように思う。劇場出入り口に立っているスタッフからもぎり・受付のスタッフ、座席案内のスタッフまで、抜群に感じの良いスタッフばかりでちょっと驚かされた。

    ネタバレBOX

     劇が始まってからも、会社パートで主役を張った大島トシロウ役の山本 一樹が、前科者であるにも拘わらず、とてもいい奴、という彼自身の地のキャラが出ている温かい舞台で、まあ、シナリオでもトシロウは、ミノルに嵌められて豚箱に入った利用されてしまうタイプとして描いているので齟齬は無い。だが、演劇が演劇的である為の狂気だの、ラディカリズムだの、パッションだの、痛切さだの、要するに突き詰めてしまう要素は、若干弱まる。それが、悪いというのではない。だが、劇的効果としては弱まる、ということである。普段は、名古屋中心に活動している劇団だから“あおきりみかん”という優れた劇団も刺激になっているはずである。だから、自分達の独自色を出そうと頑張っても来たのだろう。11回目の公演を打てるということ自体、大したことだし、東京に出張ってきたことも大したことである。今回は、劇団の、どちらかというと素の顔を見せてくれたような気がするし、それでも良いと思うが、次回来る時には、歌舞く者としての側面を強調してみては如何だろうか? 
     例を上げよう。今作では、互いに歪んだ合わせ鏡で、メインストリームが2つ同じ重さで演じられるような形が面白さだったが、メインストリームとサブとを差別化する。劇団の今迄築いてきたキャラがあるので難しいとは思うが、信頼関係を更に深めた上で、歌舞く技術の習得にも励んでほしいのだ。ラストシーンを例にとって考えてみよう。白い雨が降るシーン、全員が出てきて踊るシーンだ。物語自体からは、別に踊る必然性は出て来ないように思う。それを必然たらしめるのであれば、バッカスの巫女が、人肉を食って踊りまわったような狂の世界を描いたらどうだろう? 科白の中にも白い雨の降る中で、人肉を食うことが、既に言及されているのだし、白い雨は核の死の灰(原爆投下後に実際に降った雨は無論、黒いが)の影響を感じさせる。原子爆弾ではなくとも、総ての核は、あらゆる生命に危機を齎し、ヒトは、放射性核種を無害化する術を持ち合わせていない。これは、今に始まったことではない。原爆を世界で初めて開発したアメリカは、核の被害をも最初に被っている。だから、死の灰による被害を抑えようと、原爆開発当時から、放射性核種に由る被曝・被爆の害から逃れようと懸命に研究してきた。然し、或る放射性核種に何らかの操作を加えると、べつの放射性核種に変ずるだけで、一向に無害化できない。
     原爆にしろ、原発にしろ、機能すれば、例外なく死の灰を生ずる。米・露の原水爆は兎も角、世界の国々の多くは、そんな物を更に大量に作り出そうとしているのだ。この事実を凌ぐ狂気は、現在地球上には存在すまい。この事実を観客に感じさせる方法として、巫女が、持つ物を工夫するか、それを神格化して踊り狂うようなシーンが作れると面白い。“猿の惑星”第一作で、猿達の神が何であったかを思い出して欲しい。

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    2013/08/12 06:03

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