増幅するメッセージ力 3.11発
セットすら、照明すら、効果音すら、音響すら なかった。
何故か。
東日本大震災の被災地、つまり小学校で、避難所で、瓦礫が見守るなかすぐさま上演できる演劇を志向するからである。
青森中央高校演劇部員たちの、「被災者の方々に観てもらいたい」という たった一つの想いを形作ったのが、『もしイタ』なのだ。
先に示した「なかった」の例として、照明を挙げたと思う。
広い舞台のなかで、「ここだけを観てほしい」スポットライトの技術も今作はお蔵入りだ。
だから、背景を形作る役者一人ひとりに、観客のスポットライトは自由自在で降り注ぐ。
それは、仲間から遅れた一羽のカラスであり、紙パックのストローを吸う生徒であり、ホテルの壁掛け時計の針である。
甲子園大会青森県予選を巡る、地元の野球部員と岩手県より やってきた高校生の交わりこそ、私たちに訴え掛ける真骨頂だろう。
ただ、その展開の後ろ、あるいは真横で役者によって形作られる 背景が立体感を与え、観客にとっても重層構造だった事実を無視してはならない。
甲子園を目指す球児•マネージャー•イタコの姿が眩しかった。
高校野球をスローモーションで描く あの身体は躍動感そのものではないか。ボールなど必要なかった。
3.11から 年月が経って なお、『もしイタ』のメッセージ力は増幅し続ける。