満足度★★★★
主体と神
自分は無神論者であるが、カソリックなどの強い国で、こういう態度表明をするには、それなりの覚悟が居る。通常、人間は、その属する社会の法と倫理に従って生きている。それが何の疑問も持たずに実践できれば何の問題も無い。然し、宿命は、それほど合理的なものではない。寧ろ、不合理そのものである。子は産まれる時、親を選べない。ということは、生まれ落ちた時の環境を選べないということである。無論、宗教によっては、前世の因縁の結果だと言う考え方があるから、劣悪な環境に生まれた場合、前世の行いが悪かったのだとして、差別を合理化することにもなりかねない。
然し、所詮、総ての宗教は、実存の寂寥から逃れる為の発明に過ぎないし、何処から来て何処へ行くのか分からないを問わざるを得ない我々の知の選択に過ぎない。何ら根拠なく生き続けるという選択を採り得るほど我々の精神は強くないからである。