ワレモノ語 公演情報 イサオ会「ワレモノ語」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    主体と神
     自分は無神論者であるが、カソリックなどの強い国で、こういう態度表明をするには、それなりの覚悟が居る。通常、人間は、その属する社会の法と倫理に従って生きている。それが何の疑問も持たずに実践できれば何の問題も無い。然し、宿命は、それほど合理的なものではない。寧ろ、不合理そのものである。子は産まれる時、親を選べない。ということは、生まれ落ちた時の環境を選べないということである。無論、宗教によっては、前世の因縁の結果だと言う考え方があるから、劣悪な環境に生まれた場合、前世の行いが悪かったのだとして、差別を合理化することにもなりかねない。
     然し、所詮、総ての宗教は、実存の寂寥から逃れる為の発明に過ぎないし、何処から来て何処へ行くのか分からないを問わざるを得ない我々の知の選択に過ぎない。何ら根拠なく生き続けるという選択を採り得るほど我々の精神は強くないからである。

    ネタバレBOX

     さて、物語の前提を自分は、そう断じた。そう断じた自分に映る登場人物たちは、従って、法や倫理の内側で、それを疑わずに済む者たちと、そこからはみ出し宗教や幻想の持つ虚盲から解き放たれている者。この両者の争闘が、基本形である。タイトルの独自な言語は、後者の発明である。体制の内側に居る連中からは、言葉の発明は覚束無い、というより原理的に不可能であるから。
     ところで“羅漢に逢うては羅漢を殺し”で始まる有名な「臨済録」に似た発想が出て来たり、カインとアベルの話で通常とは逆の解釈をしていたり、そこにパラレルワールドを持ち込んだりしているのだが、その相互関係が、曖昧で、論理に難点はあるものの、ゾロアスター教にまで踏み込んでいるわけではないのは明らかで、まあ、解脱への最初の関門の前に立っている状態だとは観た。それが、アベルの化身として不死身の身体を持つ人外のキャラである。作家個人は、この段階で悩んでいると見て良かろう。だから、現段階の解が、日常的な寂しさという価値観に集約されてしまうのだ。当然のことながら、メタレベルが異なる。この辺りが、不自然な感じを齎す原因であろう。この不自然を解消する為、論理的には、これらの世界を統合し、担う論理的主体をもっと明確にシナリオとして定着する必要があろう。然し、自分の頭で考えていると思われるので、自分は、この独自性を評価しようと思う。
     若干、思弁的な事を述べたが、身体レベルの話に戻れば、役者陣、中々、身体能力の高い者が多く、殺陣、格闘シーンはとても迫力のあるものであった。視覚的には、これを愉しむだけでも充分見応えはある。舞台の作りも実にシンプルでアクションシーンの多いこの作品にうってつけの合理的な作りになっている。
     役者として、最も気に入ったのが、アベル役の男性。身体能力も高く、存在感がある。アクションが派手な分、怪我に見舞われる危険性も高い。楽日まで、大きな怪我をメンバーの誰もしないことを祈る。

    0

    2013/07/28 11:56

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大