番外ならアリ?“段ボール•ファンタスティック”
それは、まるで布切れから人形劇が演じられるかのごとく、段ボールから生まれた“ファンタスティック”だった。
古紙で造った頑丈な 段ボールが、普段 人々が使う状態のまま放置してある。荷物置き場にひしめく廃棄用の靴の気持ちと同じだろう。
その気持ちを変えるのは、役者しかいない。
その手に落ちれば、段ボールがパリの凱旋門、アメリカ南部州の長距離バス、アルゼンチンのタンゴを奏でる楽器、ローマの トレビの泉に変身する。
ただ単に、劇場のスペースを圧迫していた彼らが、海外を現す 風物詩と化す。
この変わりようは、都会の夜景が凄まじくライトアップし、地上が一変する“ファンタスティック”だ。
他方、役者を見渡すと、何やら猫の扮装をしている。
劇団四季『キャッツ』をモチーフにする姿顔であることは明らかだが、これも “ファンタスティック”の一言を感じ取ってしまう。
猫の化粧を額に描く必要はないし、皆会社員だけあってスーツ姿の役者さえもいた。
その訳は、サラリーマン•コメディだと無理が生じるため、劇団四季を 持ち出したというものだろう。
いや、むしろ、会社員達がシチュエーション設定を標榜して観客へ魅せる“海外”は、別の世界だったのではないか。
会社の会議室で繰り広げられる オムニバス•コメディを越えた、もっと別の世界を体現した 流れこそ、舞台の狙いだった。
だから、商店街のスーパーでコカコーラを買う主婦のように、劇団四季を持ち出したのだ。
私の考えの 答え合わせは、ラスト、向こうの方から“教師”が実施してくれた。
コメディについて、観客に伝わったかと言えば、難しい。
アルゼンチンのシチュエーションも また、ダンスバーを運営するママのキャラクター性は爆笑だったものの、それ以外は 伝わらなかった。
「面白い」と思う。
“海外”のオムニバス•ストーリーが画一的で あったことに、全ての難点は存在した。
見慣れた観客の「裏切ってほしい」願いを受け止めるのは、段ボールではない。