どうしてそうなった。
大学生。やらない理由をわざわざ見付けてモラトリアムするよりも、見切り発車でも情熱とちょっとした勘違いで強行したほうが良い年頃だ。更に彼らは見切り発車ではなくしっかりプランニングをして、勘違いではなく信念があったと思う。勝手ながら客観的にそれを感じたから、観に行く気になった。個人的な知り合いは誰一人いない。だからこそ新たな出会いを期待した。
ハイブリットハイジ座は早稲田の別企画で目にしてまた観たかったから、おかわりしに行った気分だ。白い米を丼でかっこみたくなる味の濃い奴らだ。3杯くらい食べたと思う。正直わざわざ感想とか言うのめんどくさい。語るよりも体験して何ぼの団体。正統派の斜め上。パチもんばっかのディズニーランドみたいだ。年間フリーパスが欲しい。
ミームの心臓は旗揚げ初期から気には掛けていた。恐らく好みじゃないだろうなと予想しつつも、息が詰まる様な何かをしれっとかます団体なんじゃないかと思っていた。結果、上演中に自分は何回溜め息を吐いてしまっただろう。「なんだこれは、誰に向けてやっているんだ。分かる人だけ分かればいいのか?」という心境の下、上演中に席を立とうかと考えました。これを60分観るくらいなら一旦深呼吸しにランチにでも行って次の演目を期待しよう、そう思った。しかし全て観なければ作り手の意図を受け止めた事にはならないというポリシーで最後まで観た。ぶっちゃけ、単なる意地だ。でも結局、受け止めたくならなかった。
四次元ボックスは日本の問題でも観た。その際もテーマに沿った各団体の短編が並ぶ中で、彼らの演目だけはどうテーマに沿っているのか分からなかった。たまたまその時そういう挑み方をしただけで今回はきっちり沿わせてくるかもしれないと考えたが、やはりまた沿っていたとは思えなかった。だったら何故テーマのある企画公演に出ているのか。テーマに沿うよりも自分達の作風を優先したいというなら、単独公演でやればいい。
この企画はどう捉えるべきだったのか。「学生劇団が頑張っている」というレッテルを利用したかったのか不要だったのか。フライヤーの文面からすると「学生演劇の枠を早々に飛び越え」とか「若干二十一歳」とかの言い回しを自ら選んでいるし、利用したかったんだろう。が、「勢いのある学生団体なら観てみよう」と、演劇に興味の薄い人が触手を伸ばすかどうか。学生団体とは学生が主軸の団体であり、個人的には決して片手間でやっているイメージはないのだけど、一般的には「社会に出る前に一時的やっている」と捉えるのではないかな。それを打ち破りたいなら、各団体に出身学校の記載は要らなかった。「これから演劇界を背負って立つ注目の若手団体が今回だけの共演」とかのほうが目を引いたんじゃないだろうか。少なくとも自分は勢いのある学生団体を観たくて行った。全く意味のない比較になるが、4~5年前に学内で観ていた学生団体のほうが勢いも本気さも感じられた。
で、学生イメージを押しているのに受付対応が機械的な企業染みていたのがまず入場前に違和感だった。それこそフォーカスを何処に当てればいいか分からなくて。そして終演後、個人的に大嫌いな『次の回が迫っていますのでお早めにご退席ください』というアナウンス。それはそういうスケジューリングにした自分達の責任であって、観終わったら早く帰れと強制する理由にはならない。それがあったから紙アンケートがなくWEBで答えるシステム(終演後に個人アドレスにフォームへのURL付きメールが届く)も、アイデア自体は評価したいのに、その場で書かれたら次の回に影響するからだなと邪推してしまって。終演後すぐにメールが来た対応の良さは好印象だったが、まずもってWEB環境のない人はどうしろというのか。予約時にアドレスを伝えていない人には届かない。紙と鉛筆を使いたいご年配の方々は顧客対象に見ていないのか。
プロデューサーは確かに仕事をしているのを感じる。が、戦略の中心部は達成しているが外枠付近が脆弱だった気がしてならない。専任制作者をパートナーに引き入れていれば企画としてもっと強固になっていたはず。残念だ。