一遍~天演出編~ 公演情報 風雲かぼちゃの馬車「一遍~天演出編~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    踊念仏の本質
     哲学としての宗教に或いは人間観に立った踊念仏を用いて衆生救済を目指した一遍は、900年ほど前に生きた人である。承久の変で兄弟の血で血を洗う戦の当事者であった一族の一方の当主であった武士の家に生まれ、幼年時代は、武士の子として育った一遍は、叔父に一敗を喫した父の配慮で、兄の訴追を逃れる為、仏門に入れられた。父も仏門に入ったことがあり、兄弟弟子に当たる尼僧の下に観を寄せることになったのである。

    ネタバレBOX

     自由奔放、而も心優しく明晰な一遍は、古法に則り、新たな展開を認めようとせぬ勢力からは忌み嫌われることになる。偶々、仏門に入って間もなく、それ迄入門僧の間で幅を利かせていた兄弟達と喧嘩になり、罰を受けることになった。だが、兄弟、日光、月光の母は病に伏せっているという。そして、罰を与えられたのは当初彼らだけであった。一遍は、彼らの罪は、自分も同じ、罰するなら自分も同じように、と主張する。この主張が認められて、双方ともが罰を受けることになるが、一遍は兄弟に、謹慎中の身ではあるが、母が病であれば、会いに行け、と詰め寄り、出掛けてゆくこととなった。結果、尼僧の慮りで、わざと閉門していなかった裏門から一同は、まんまと抜け出し、兄弟の母のもとへ向かった。今日だとの面会を果たした後、母は亡くなるが兄弟も面目を施したのである。
     帰って来た彼らは、然し規則を破って、謹慎中の身でありながら、更なる規則破りをしたので、罰されねばならぬ。然し、尼僧は、彼らのかばい合う姿を見て、温情ある裁定を下す。一遍には、当時、諸外国からの情報も入る太宰府へ赴き修行することを命じたのである。彼は、大宰府で修行の日々を過ごしていたが、父の訃報が届き、還俗することになった。叔父の娘、一と結婚し娘を設ける。然し、平穏な日々は短かった。家督相続を巡って兄と対立することになったのである。城は焼け落ち、叔父も兄も決戦の末、命を断った。再び、一遍は僧侶として生きることを選ぶ。妻、子も従うということになって下男として幼児からずっと付いてきたと共に、踊念仏を広めることになった。然し、この事態に業を煮やした勢力があった。彼らは一遍が仏法を愚弄し、幕府に抗っていると主張、一遍と仲間を捉えさせる。裁きの場で、実際の踊り念仏を将軍の前で舞った彼らは、無罪の判決を得るが、保守派の僧侶は更なる論争を挑み、結果、一遍に負けて命を落とすこととなった。
     ところで、この作品、踊り念仏の一遍を描いている関係で踊り、つまりダンスが出てくるのは当然なのだが、その踊りの内容が余りにも陽性である。もっとタメを使うなりして、踊りその物の中にドラマを作り込んで良かろう。まして、一遍は、殆どの人が経験せずに済んだ地獄のような苦痛を味わってきた人物である。また、踊念仏は、踊る人自身が、踊りを通して納得する為の訓練プログラムであってみれば、この方が、踊念仏の本質を描くには相応しかろう。

    0

    2013/03/18 13:42

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大