満足度★★★
「親愛なる我が総統」
こういうのは、観る人の人生観によって評価が大きく変わる作品ではないかと思う。
例えば目の前に言葉も通じないし習慣も違う、マスコミをみる限り野蛮で敵意に満ちた異なる民族の一人がいて、
ソイツを殺さないとお前を殺すぞ、と同じ国の人間に言われたとする。
自分は、歴史も文化も自分の国を心から愛していて、
マスコミの報道によると今、その異民族に滅ぼされようとしているらしい。
家族もいて、自分が死ぬと裏切り者として罵られて路頭に迷うかもしれない。
涙を流し謝りながら殺す人間がいる一方で、
自分と同じように泣き笑い苦しむ人間を殺すくらいなら死んだ方がマシだと
自分の中の神に従って迷わず死を選ぶ人もいる。
どちらに感情移入するかで、評価は分かれると思う。
自分は強力な軍隊を作り上げたドイツ人の言語より、
何のまとまりもなくすぐ侵略され、
ロマンの血が滾るポーランド人の言語を迷わず学びたいと思った。
殺す側に多少でも感情移入するということは、実は極めて危険なことのような気がする。
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人間である限り、誰かが誰かより生きる価値があると信じる理由はない。
教養があろうと無かろうと、
自分の命が、目の前の人間を犠牲にしても守られる価値があると信じる人間(政治家など)だけが、
他のすべての人間に劣る。
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そのことをハッキリと認識するようになったのは、
昨年のFTのヨッシ・ヴィーラーのレヒニッツあたりからなのだけど・・(苦笑
ただ、そのヨッシ・ヴィーラーも実は銀行に支配されたスイス
(報道自由度ランキングは上位だが、資本主義に対する懸念の発言は封殺される表現の自由の無い国
の出身なので、反ナチスの姿勢も多少は割り引いて考える必要があるかもしれないけれど・・(苦笑
ただ、被害者の声というのは割と通りやすいけれど、
加害者の声と言うのは聞かれないことが多いので、
そういう意味では上演する価値がある気もする。
出来ればドイツ軍とかじゃなく、
もっと最近の、アメリカとニカラグアとかそういったところを観たい気もするなぁ・・。
エルサルバドルの司教やなんかを殺害した特殊部隊を育て上げたアメリカ軍の兵士たちが、
「悪魔と呼ばれながらも実は人間」
的な存在として描かれたり・・って皮肉。
※ちなみにナチスとかユダヤ人虐殺などは自分もずいぶん昔から興味があって
本などを読んだりポーランド語を勉強したりしていたので、
割と自分にとっての題材の新鮮さが少なかったりとか、
あるいはポーランド人同士の会話から、
「これはポーランド語にしたらどういうイントネーションになってるんだろうか、
逆にドイツ人にドイツ語で質問してるときとの言葉の差が
感じられないナ」
・元はそれぞれの言葉で話しているため、
ドイツ語とポーランド語での元の会話を念頭に置きながら、それを日本語に訳していることをイメージする必要があったりする。自分も言葉を勉強したとき分かったが、ポーランド人にとってのポーランド語というのは、非常に重要な要素で、一般の市民の手紙の一つ一つが、日本で言うなら昔の作家のような言い回しを使っていたりする。
とか、わりと一般の人にとっては小さなこと(と言っても自分にとっては大きなこと)が気になってしまうので・・(苦笑
↑これが「演出」という面でどうしてもマイナスになってしまうこと。テキストは変えられなくとも、言葉の違いを観客に明確に分からせるような演出上の工夫がどうしても必要だったんじゃないだろうか。繰り返し言うようだけれど、ドイツ語とポーランド語の違いは非常に大きい。ドイツ語と違って、ポーランド語のように非実用的な言語を誇りを持って話す(生み出すのは数学者やピアニストなど)国で、科学技術や強固な軍隊を生み出すドイツとは大きく異なる。ドイツ人とポーランド人との違いをもっと分かるようにする必要があったのではないかと凄く思った。
ミシェル・トゥルニエの「魔王」ぐらいぶっ飛んだものだったら文句も無いんだけどな・・(苦笑
あと、メチャクチャ暑かった(汗
個人的には、(地方の)日常のシークエンスを上手く舞台の中に編み込んでいるという点も含めて、
やっぱり当初の予想通り大阪・広島の2作品に
(自分の中では)絞られたカナ、という気がする。
本当なら、ここにピンク地底人を含めて3作品位でちょうどいいんじゃないか、と思ったりする。
東京の2作品に思ったより演出上の遊びが無く、ちょっとがっかりしてしまった、正直な所(あくまでコンクールなので、今回だけは正直書きます、スミマセン(汗