灰とか降らせると何かキレイに見える
性的な描写のやるにしても何かしろストーリーがあると思う。そういう性的なものは、それをやるに至る経緯がある。
舞台上でそういうことをやると見てる客には少なからず衝撃(羞恥心に近いもの)があるけど、その衝撃はストーリー上で必要性があって深みを与える、というかよりリアルなものを見せる為にやるのだと思う。
要はそれだけ伝えたいメッセージを観客に運ぶ為にやっているのだと個人的に思っている。
単なるお飾りにしても性描写は重い。普通の舞台にちらっと出てきただけでも。
それが今回はひたすらSMプレイして、これは愛?そう、愛ですの繰り返しで見てる側としては愛の確認してるのか?と思う。
愛なんてどこにも見当たらない。
キチガイメンヘラしかいなかった。
こういう愛の形もある、みたいなことを言いたいんだかなんだかわからないけど。
単純にセックスにSMプレイに調教に、男役者脱ぐ、女役者はブラ、拘束される、ゲボる、ストーカー、殺す、人間の見るに耐えない様だけをひたすら見せて、それに伴うそれだけのストーリーが何もなく、キャラクター同士も特にお話の中で繋がりなく(ただのキャラ上の設定があるだけ)、一方こっちはヤッてますみたいなシーン展開。
昔は性描写は隠されていた。まじで交わる前に暗転とか、核心部は見せないよ流石にっていう姿勢が、今時は結構普通に見せるようになってきた。完全に二人絡まってますけど何か?みたいな姿勢で、それはそういうのを見せることも含めてこの舞台全体の芸術性に関わることだから見せてるんだみたいな、羞恥心をものともしない確固たる意味の元でやってるわけじゃないか、多分。
だから今日、そういう主張を受け入れて性描写がある程度許されてきたと思っている個人的に。
その風潮に託けてただただヤるのは演劇ではない。
そういうのを単なるインパクトのお飾りとして舞台に入れ込んだならもっと中身のある話が必要だ。
今回のはストーリーがないから劇場内でSMプレイを見せてるだけだった。演劇詐欺という新手の犯罪だと思った。
最近は何しても演劇で括れるからあかん。