「最高のスタンダード」。
史実を調べ上げた上でトンデモ設定を盛り込んでエンタメに成すバッコスお得意のやり方。「そうだったんだぁ」と「そう来るかぁ」が折り合わさって生まれる、事実と虚構の間の、でも虚構の世界観。役者陣は素直な演技なので、騙されている感は全くなく「見世物を見せられている」という演劇としてはかなり正しい提供の在り方だと思う。一般的な「お芝居」をイメージする人々にはおススメしやすく、演劇への導入口としては最適な立ち居地にある。
かねてから当団体が掲げている理念が「最高のスタンダード」。しかしながら万人受けを狙って超ベタに収まる訳ではなく、観客が演目を観るにあたってどれだけ追って来るかという観劇速度を先読みした上で程よい先導が出来ている。時にあえて駆け足になって追い掛けさせる事で心を惹かせたり、逆にゆっくりになって浸る時間を作ったり。演劇的にはそれなりに演出を続けていれば見付け出せる手法だけど、そもそもシェイクスピアなどの古典戯曲では演出以前の戯曲の時点でそれが意識して書かれている。森山さんは勿論それを踏襲しているだろうし、稽古場で演出を始める前から演目の行き先はかなり見えているはず。個人的にこれはとても誠意のある作品創作に感じるのです。とりあえず書いちゃって後は稽古場で演出で何とかしようっていう作り手や、本番数日前にようやく台本をあげる作り手も少なからずいますからね。客に何かを提供するサービス業であれば、何をどの形で提供するかの意向を固めてから提供して然るべき。自分達がやりたい事を寸前まで悩み続けて何とか間に合わせるのは芸術家っぽいかもしれないけど、提供者としては準備不足なだけ。それからすると、この団体は自分達に何が出来るかをよくよく把握していて安定したサイクルを生み出せている。
読書を重ねているであろう作者だからなのか、観終えて読後感の様な感情も湧くのです。分かりやすい作風であるからか、自身が小学校高学年や中学校の頃に図書館で読んだ割と易しめの本を読み終えた時の様な。かといってこの演目が易しいとかライトノベルみたいだって事ではなくて、対象者を一定の年代に絞って書かれた書物と同じくらい、相手側の事を考えて思い遣って書かれた戯曲なのであろうという印象でしょうか。
役者に関しては悪いと思える人は一人もいなかったですね。出番の量の違いはあれど、全ての役者がきっちりこなすべき事をこなしていました。もっと出番があってもいいのにと思える役はあった。でもその少ない出番の中で違和感を出さずに演じてくれた事は、役者能力を評価するには情報が足りなすぎたけど、そもそもの演目を観る中での灰汁にならずに溶け込んでいた証拠。評価されにくい仕事を切々とこなしていた事を評価したいです。
2013/02/02 01:22
心のこもった文章、大変嬉しいです。
まさに「そのように受け止めてほしい」と日々考えております。
見巧者の方々にももっと評価していただけるよう、精進して参ります。
今後ともよろしくお願いします。