100万回生きたねこ 公演情報 ホリプロ「100万回生きたねこ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    身体と言葉で詩情豊かな作品に
    脚本を、小劇場で活躍している、糸井幸之介さん、戌井昭人さん、中屋敷法仁さんの3人が担当し(たぶん歌詞は糸井さんが担当するのかな、と)、音楽にはロケット・マツさんと阿部海太郎さんがいて、さらにコンテンポラリー・ダンスのインバル・ピントさんとアブシャロム・ポラックさんが演出をするということで、(やや)スパイシーな内容を想像していたのだが、そうではなかった。
    とても詩情豊かな作品が、舞台の上にあった。

    大人だけが観るのはもったいない、子どもにも是非観てほしい作品だ。

    ネタバレBOX

    ストーリーは、絵本の『100万回生きたねこ』。

    それを、主人公のネコが人に飼われていたときと、自由に生きていたときの2部に分けて上演した。
    上演時間を開演前に掲示で確認すると、第1部80分、休憩後第2部40分となっている。それだったら通しで上演したほうが、中ダレしなくてよいのでは? なんて思っていたが、それは違っていた。
    2部構成が正解だった。

    100万回死んで、100万回生き返ったネコは、王様や泥棒、漁師などいろいろな人に飼われてきて、「死ぬことはなんともない」と思っていた。飼っていた人々は、ネコの死に涙し悲しんだが、ネコ自身は涙の1つぶも流さなかった。これが第1部。

    第2部は、そのネコが「愛する」ということを知って(すなわち、本当に「生きて」)、その死に涙する。

    第2部が特にいい。
    第2部は、あっという間の40分なのだが、胸に迫る。

    第2部を際立たせるめにも、観客には休憩時間のインターバルが必要だったというわけなのだ。

    インバル・ピントさんとアブシャロム・ポラックさんは、イスラエルのコンテンポラリー・ダンス演出・振付のユニットだ。
    ミュージカルという公演だが、当然、ダンス中心の内容になってくると予想していた。
    しかし、単に「歌のあるダンス公演」という、狭い内容ではなく、「これはこう演じて、こう身体を動かすことでしか表現できないな」ぐらいに思わせる演出であった。

    ホントに凄いと思った。

    美術も彼らが担当し、デザインチックで、ポップでありながら、押さえた色のトーン。それは、読み込んだ絵本のページをめくるような「画」であり、その「画」が、「たぶん絵本が動いたらこんな風になるのではないか」と思わせるように、ユーモラスだったり、少し不思議だったりに動くのだ。

    特に前半は、前後左右はもちろん、上下からも登場したり、上に伸びたり、下に一瞬に隠れたりと、わくわくどきどきしっぱなしであった。観客の多くは目を輝かせて観ていたのではないだろうか。

    このセンスは素晴らしい。ダンスを担当する人たちの動きがキレもいいし、なにより観ていて楽しい。

    台詞の多くは、韻を踏む。その楽しさもある。

    そして、第2部だ。
    100万回生きたネコが初めて涙し、「死」を思い、つまり、「生」を思い、「愛」を思う。

    100万回生きたネコと白いネコは、多くの台詞を使わず、しりとりで単語をつなぐ。
    この、一見なんでもないような、単語のやり取りに「愛」を感じてしまう。

    余計な台詞や、原作の絵本にあるような、子どもたちが出てこなくても、2人の関係が浮かび上がるのだ。
    このときの彼らが表現する動きがいい。

    出会いのシーンは、100万回生きたネコが動き、興味を惹こうとする。対する白いネコはそれに動じない。しかし、2匹は徐々に近づいていく。
    この後の彼らの動きにも「愛」を感じる。

    「恋愛」の「愛」から、「家族愛」の「愛」というか、そばにいて欲しい人への愛情だ。

    短い時間ながら、そうした関係を丁寧に見せたあとの、白いネコが目を閉じてしまうときの100万回生きたネコの慟哭は、胸に迫る。本当に迫ってきた。

    その後の余韻の長さがとてもいいのだ。
    変に音楽で盛り上げようとせず、静寂と重なる2匹のネコの姿。
    これにはすっかりやられてしまった。

    さらにラストに、彼らに重なる音楽がもの悲しいだけではなく、どこか明るさがあるような曲であり、彼らを祝福しているようでもあった。100万回生きたネコをかつて飼っていた飼い主たちも登場する。彼らも祝福を贈る。
    100万回生きたネコが、本当に涙を流したことへの祝福でもあろう。
    つまり、それは「死」への祝福ではなく、「(きちんと)生きてきたこと」への祝福だ。

    何回も生き返ることで、死を軽んじていたネコが、生きてきたことを実感したということだ。

    また、飼われていたときは、飼い主に愛されていて、ネコが死んだときには、飼い主たちは多くの涙を流していたが、今度はネコ自身が「愛する」ことを「知って」、「涙する側」になったことへの祝福でもあろう。

    「愛すること」を「知って」、「生きてきた」と言えるということなのだ。

    100万回生きたネコを演じた森山未來さんは、全編身体を、とてもきれいに動かし続け、100万回生きたネコの気持ちを見事に表現していた。
    前半は、100万回生きたネコを見続ける少女を演じ、後半は白いネコを演じた満島ひかりさんは、しなやかで、ときには儚く、観客の視点と物語の中心を見せてくれた。
    脇を固める俳優さんたちも、役のトーンをそれぞれにに見事に演じていたと思う。とても良かった。

    脚本を担当した糸井幸之介さん、戌井昭人さん、中屋敷法仁さんの3人は、もし、彼らがそれぞれに同じ「100万回生きたねこ」をテーマにした作品を発表したとすれば、恐らくまったく違ったトーンになったと思うのだが、今回は、3人が揃ったことで、それぞれの作風に持っている「センチメンタル」な部分や「詩的」な部分がうまく、相乗効果により共鳴し、発揮されたのだろう。

    音楽も良かった。パスカルズやいろいろなアーチストのサポートで活躍しているロケット・マツさんと、各種舞台の音楽を担当している阿部海太郎さんが、アコースティックで、どこかノスタルジックな味わいのある曲を作っていた。どの曲も良かったし、舞台の中や外で生演奏も効果は抜群であった。

    若手の脚本家たちの競作による脚本、2人の音楽家たちの曲、そして日本人の俳優を使って、演じさせ、踊らせ、歌わせて、このような素晴らしい作品にまとめ上げた、イスラエルの演出家たちの手腕には驚嘆した。

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    2013/01/17 07:00

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