満足度★★★★★
三度目の死
王国編:男は自分が『百景』になったことがわからず、目の前にいる人が自分と関わりがあるかどうかもわからない。常に『新しい自分』として目覚める。『昨日の自分』でもなく『明日の自分』でもなく『今日の自分』として生きている。周りは女はそれを受け入れるしかなく否定はできない。自身が『百景』になったとしたら、果たして耐えられるのか。
牢獄編:父親の気持ちが理解できない。部屋には鎖につながれた『妻』息子は母のことを受け入れているようでできていなかった。父親はどうなのか。息子に息子の妻に依存することで気持ちを保っていたのかも知れない。鎖は『百景』にかかった『人』から逃れられない『周りの人』の本心の表れのように感じた。
男はきちんと周りの認識がある。『百景』の意味も知っている。ある人物を覗いて、そして時空を覗いて。男の記憶は『過去』にある。『未来』でもなく『今』でもない。そして自分が『百景』であると気づいた時、周りを否定する。そしてある人と話をし、それをなくさないようにする為にやったことは、、、人は二度死ぬ。『百景』は三度目の死に値する。周りを忘れる死。心にのしかかった言葉。
どちらの立場になっても辛いものがある。ただ事実を知らずに『百景の人』でいる事の方が幸せなのかも知れない。個人的にそう思う。