『ヒッキー・ソトニデテミターノ』 公演情報 パルコ・プロデュース「『ヒッキー・ソトニデテミターノ』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    これは凄い!
    鳥肌。



    ネタバレ長々と書いてしまいました。
    ホントにネタバレなのでこれからご覧になる予定の方は、ご覧になった後で。

    ネタバレBOX

    『ヒッキー・カンクーントルネード』の「森田が引きこもりから脱した」その後の話。
    森田は、自分を外に出した引きこもりを引き出すサービス会社「出張お兄さん」で、実際に森田を外に出した黒木の下でスタッフとして、一生懸命に働いていた。

    彼は、引きこもり8年の太郎や、20年の和夫たちを、黒木とともに外に出し、自分たちの寮に住まわせようとする。

    太郎と和夫は、彼らの努力により、寮に住むことになり、さらに働く場所も探してくる。
    しかし…。

    そんなストーリー。


    ハイバイなので、胃のあたりに何か重いモノが残りつつも、笑ったりして楽しいのではないかと想像していた。

    確かに笑えるところもあったが、有川マコトさんが、オムツ姿で、何やら訳のわからないことを、強い口調で話しながら出てくるあたりで、うわわわわ、となった。

    彼、有川マコトさんは、かつて森田が引きこもっていたときのエピソードとして、どんなところにも順応してしまうという「飛びこもり」(!笑)の人を演じていて、森田ともの凄く通じ合っていたように見えた。
    同じ人が演じているから同じ人であるとは限らないのだが、同じ人と考えると、「引きこもり」とは別の症状だった彼が、社会に出ることで結局、あのように壊れてしまったのかと思うと、かなり恐い。
    「飛びこもり」の彼が黒木に連れて行かれるときに、「実験をする」というようなことを言われていた(タオルがない世界)だけに、いろいろされて壊れてしまったのではないかと思うのだ。

    そして、和夫。
    古舘寛治さんが演じる和夫は、古舘さんらしい口調で、静かな不気味さというか、不安さを秘めている。「大丈夫な人」のようなのだが、それは(たぶん)繕った外見であり、中身は不安の塊であることを隠しきれない。

    和夫がお弁当屋さんで働くことになり、その壮行会のときに、彼の母が見せた涙を見たあとの、和夫(古舘寛治さん)の、一瞬の表情には鳥肌が立ち、その後の彼の言動・行動の揺れの表現は素晴らしいものがあった。
    すぐそこに奈落がある予感をさせる。

    彼の行動を筋道立てて考えてみると、太郎の就職発言に対して、擁護する発言をしていた和夫だが、つい、口が滑って「自分も…」と言ってしまったのではないだろうか。弁当屋のおばさんの視線のことまでサービストークをしてしまっているし。だから母の涙を見た和夫は、初出勤のときにああするしかなかったということなのだ。
    いったん社会人として働いたことがあった彼が、引きこもってしまった一端が見えるようだ。
    なんて、ふうにもとらえることはできる。
    しかし、そう単純に、彼の最後の行動をとらえることもなく、それは「わからない」であっても、このテーマの感想としてはアリなのだと思うのだ。

    結局は「なぜそうなったのか」「なぜそうしたのか」が、家族や他人はもちろんのこと、自分にだって、いろいろ「わからない」のだから。

    ラストの前に、森田が家を出ることができるはずのエピソードが繰り返される。しかし、彼は、玄関ではなく、「窓」から出て、スローモーションで倒れる(落ちる…)。「いやいや、家を出たんだから違う」という台詞に戦慄した。
    「ああ、これはキツイぞ」と思った。
    さらに暗転前に、彼がまた窓を乗り越える一瞬が見える。
    「これは……」。

    てっきりこのキツいやつで幕、かと思っていたのだが、実はそうではなかった。

    あまりにも「普通な」「日常」のようなシーンがラストには待っていた。
    いつもの通りに、黒木とともに森田は引きこもりのいる部屋の前にいる。
    そして森田は「用がある」と言ってそこを立ち去る。
    黒木は何かわかってしまったような顔をしている。
    そして幕。

    このシーンは泣きそうになるぐらいのインパクトだった。
    先に書いた、暗転の「窓」のシーンよりも何十倍も、ずしーんと心に重くのし掛かる。

    もちろん、窓のシーン、森田が去っていくシーンについては、解釈はいろいろできるのかもしれないが、例えば、今まで舞台で行われたシーンすべてが、森田の脳内のシミュレーション(和夫もやっていた)であり、「窓のシーン」がその結論であった。つまり、みちのくプロレスには行かなかった、ともしれるし、太郎や和夫など、多くの引きこもりに接してきた体験の後、彼がたどり着いた、悲しい結論ともとれる。さらに彼の未来の分岐点だった、ともとれる。
    なんて、いろいろとああだこうだと、筋道立てて考えることをしないで、観たそのままを感じるということが一番のような気もする。

    しかし、それは楽しい結末ではないように思える。

    どんなに説明されても、「わかる、わかる」なんて簡単には言えないけれど、それぞれがそれぞれの事情でそういう状況になっているのであって、黒木も言っていたように「なぜ外に出たのかわからない」ということが、森田や太郎や和夫たちにとっても、実は同じということ。

    もう1回同じことを書くけど、
    「なぜそうなったのか」「なぜそうしたのか」が、家族や他人はもちろんのこと、自分にだって、いろいろ「わからない」のだから。

    「今の状況はマズいかも」と気がつくところが、あまり良くないと思われている引きこもりなどから脱するための、第一歩であることは間違いないのだが、そこから「普通の暮らし」「普通の社会」と言われているところに出て、「普通の生活」をするということは、とんでもない距離があるということなのだ。
    もちろん、太郎という人もいるので、その距離も人それぞれだろう。

    家族を含め、周囲から常に言われ続けてきた「普通」と言う言葉。「普通」という「言葉」に縛られてしまい、「普通」が何なのか突き詰めすぎてしまう彼ら(和夫のファミレスでの注文練習のように)にとっては、見えないほど彼方に「普通」はあるのだろう。

    和夫の感じていた「普通」が母の涙によって、現実になってしまったのかもしれない。

    鈍感になることが、唯一生きていける方法なのかもしれない。

    森田の行動を見ていると、かつて自分がそうであった引きこもりたちと、懸命に寄り添い手助けをしようとしている。その姿はあまりにも美しい。しかし、寄り添いすぎることで、自分の中に「完治」してない部分が共振してしまったのだろう。
    黒木は、厳しい口調と態度で常に臨み、「闇黒」に引き込まれないようにしている。

    「引きこもりはなぜダメなのか」という台詞が重い。

    なんという観劇後感を残してしまう作品だったのかと思ってしまった。
    唸りながら帰るしかない。

    森田などを演じた吹越満さんは、やっぱりうまい。嫌みなほど(笑)うまい。「うまい演技」をしている、と言ってもいいかもしれない、という嫌みをつい書いてしまうほど(笑)。あの演技は、大きな舞台ということを考えてのものだったのではないかと思う。引きこもりの人だった森田の動きとか。ただし、吹越満さんの表情が凄い。これはホントに凄い。

    そして、先にも書いたが、和夫を演じた古舘寛治さんの、母との、あのシーン、古舘寛治さんのの一瞬の姿が素晴らしい。
    オムツ姿でうろつく有川マコトさんはなんか恐い。社会に出てこうなってしまうかもしれない、という行く末のひとつとしての怖さが、常に舞台の上にあった。
    黒木を演じたチャン・リーメイさんももの凄く良かった。きっぱりした口調の中に、自分の仕事への疑問(揺らぎ)のようなものがうかがえる。ラストに近づくにつれてその配分が多くなるところもうまい。
    さらに、森田の妹を演じた岸井ゆきさんが良かった。兄への愛情と、明るさが救いであった。森田が唯一心を許せるたった1人の存在であることが、よくわかるのだ。

    舞台は、シンプル。ドアや壁を想像させるパイプがあり、それがくるくる回る。そのくるくる回すシーンが、なんか恐い。そして、ドアの構造がハイバイだった(ハイバイ扉と呼んでもいい・笑)。
    舞台の下手奥には俳優たちが出番を静かに待っている。そういうことも含めて、小劇場の香りがした。

    私の観た回は、後ろのほうが、すっかーんと空いており、「大丈夫か?」と思ったのだが、今はどうなのだろう。パルコだからちょっと高いけど、観る価値はアリ、だと思う。

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    2012/10/11 06:46

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  • コメントありがとうございます。

    そうでしたか、空いてましたか…。

    もちろん、「わざと空けておく」(笑)はあり得ないので、小劇場のファンだけでなく、一般のお客さん(?笑)を呼ぶための魅力に、少し欠けてしまったのかもしれませんね。料金も含めて。

    この芝居はセットを豪華にしてもあまり効果はないと思いますので、あれでよかったのだと思ってます。また、確かにパルコは大きすぎたかもしれませんが、岩井さんもテレビや映画に出演したり、脚本を提供したりしてますので、知名度もそれなりに上がってきて、実力を認められての起用だったのでしょうね。

    普段小劇場系の劇団が大きな舞台を使うと、しっくりこないこともありますが、今回の公演に関しては、パルコの大舞台でも違和感なく観ることができましたので、その点では不満はありません。
    もちろん、これからもハイバイは小劇場や大きくても中規模のホールでの公演が中心となるでしょうが、今回の大舞台の経験や、吹越さんのような役者を演出するという経験を積んだと思いますので、今後の展開には期待したいです。
    いわゆる商業演劇系の公演への進出も含めて。

    ちなみに、「あえてパルコでやる」というのは、パルコ・プロデュースの公演だからでしょうね。それ以上の意味はないかと。

    >良い作品なのに空席が多いのはとても残念な気持ちになりますからね…。

    まったくの同感です。

    いずれにしても、鳥肌モノの作品だったことは間違いなく、観てよかったと思いました。

    2012/10/14 10:09

    10月13日マチネを拝見しましたが、やはり同様に通路を挟んだ後ろが空席でした。
    わざと小劇場空間にしてるのか、ただ客が入ってないだけなのか…。とても良い作品でしたが、やはりハイバイは小劇場の方が合ってると思いました。パルコだからセットを豪華にすることもなくいつも通りのハイバイのセットでしたし。キャストも吹越さんはいてもほぼ小劇場的キャストでしたし。
    これをいつもの小劇場で三千円台なら、いつもみたいに満席で、かつ値段以上の満足感を得られたと思います。
    今作は、敢えてパルコでやる必要はあったのかな?と思ってしまいました。
    広くても本多位が合ってたのではないかな…と。
    良い作品なのに空席が多いのはとても残念な気持ちになりますからね…。

    2012/10/14 02:16

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