ゴベリンドンの沼  終了しました!総動員1359人!! どうもありがとうございます! 公演情報 おぼんろ「ゴベリンドンの沼  終了しました!総動員1359人!! どうもありがとうございます!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    観客を応援団に仕立ててしまう魅力
    「参加型アトラクション公演」と銘打っているだけのことはある。
    工場跡地の舞台に、手作り感満載の美術や衣装。
    さらに観客の座席そのものも。

    ネタバレBOX

    会場に到着すると俳優さんたちが案内してくれる。
    ここまでは普通にやる劇団も多い。
    しかし、ここは直接観客に話し掛けてくる。「どこから来たのですか」などと。

    ここから「参加型アトラクション公演」が始まっているのだ。

    そして、演劇公演の開演前(!)に自分たちことや目指す目標を熱く語る。
    こういうことは、これから始まる公演の妨げになる可能性もあるのだが(虚構の物語に入る前なので)、それでも構わず、熱く語る。
    その語る姿には、単純に感動してしまう。「がんばれ」と思ってしまう。
    これがあるとないとでは、続く演劇の受け取り方も違ってくるだろう。

    そして、公演内容そのものも、熱っぽく、好感持てる真摯さがビンビン伝わる。
    ここで、またやられてしまうのだ。「応援しよう」と。

    この観客を取り込んでいく「戦略」は、観客席を走り抜け、本当に役者を間近に感じられる演出や、観客1人ひとりに語りかけるフレンドリーさ、さらに自分たちのこちをストレートに伝える熱量にある。それを実現するのに重要なことには、「(実際に)観客との距離が近い」ということがある。それには観客数が多くてはなかなか実現でしない。すなわち、「観客数はある程度に抑える」という方法が一番だ。これが戦略を遂行するためのひとつの「手法」であろう。

    彼らは、観客の動員数を倍々にしてきたらしい。そして、今回は前回600人の倍、1500人の動員を目指している。その1500人の動員を達成するのに、1回のキャパが大きな会場を選ぶのではなく、単純に公演回数を倍にした。
    すなわち、今までの「手法」(観客の数を少なくして役者との接触を大きくする)を活かすことを選択したのだ。それは、1カ月公演(!)という大きなリスクを天秤にかけての決断だ。

    これは成功したと言っていい。
    観客は自分を覚えてくれて、語りかけてくれる役者たちに感激し、リピーターになり、さらに友人・知人を誘ったりする。まさに戦略通りの展開であろう。

    観客倍々の先にはシアターコクーンがあるらしいのだが、コクーンのサイズではこの手法は、そのままでは使えない。
    つまり、1500人動員、1回の公演で最大でも40〜50人規模の現在から、コクーンに行くまでは、どうしても100人規模、200人規模等々、の会場を避けては通れないからだ。
    その規模で観客との距離を縮めるために、単に客席の通路を走り回ったり、客入れのときに役者がロビーに出ているだけでは埋めることのできない隙間が現れてくるだろう。

    それがやってくるのは、たぶん、3000人動員を目指す次の公演からではないだろうか(今回の1カ月公演を単純に倍の2カ月公演にはできないだろうから)。
    そのときには、さらに何かアイデア、手法が必要になってくるだろう。ひょっとしたら公演内容事態も今までと違ってくるかもしれない。実際、物語のつくりはそれほどでもないし。課題も多いが、期待も大きいというところであろうか。

    会場を大きくする、それが彼らの次の正念場であり、それを楽々と越えてみせてくれるだろう、彼らがとても楽しみである。

    そして、コクーンの先には何があるのか、ということも楽しみでもある。

    公演自体は、前半は少しだるいのだが、後半からのスピード感と泥臭い物語には飲み込まれた。ストーリー自体は特にどうということはないのだが、「役者が演じるから面白い」というこを実感させてくれる舞台であった。
    それだけ役者が活き活きしているし、熱いし、うまいと思う。

    ただ、いくつか書いておきたいことがある。
    1つめは、主人公の少年は、17歳という設定なのに、なぜあんなに幼い台詞回しをしているのだろうかということ。早めにしゃべるときは普通の声色なのに、ゆっくりしゃべるときだけはにぜか幼い感じの声色になる。これはずっと違和感を感じた。

    2つめは、ゴベリンドンが2階のほうからするすると降りてくるシーン。ホントにきれいにするすると降りてくるのだが、これって、結構危険ではないだろうか。もちろん本人もだが、客席のほうが問題だ。1つ間違えて手や足を滑らせたら観客の頭上に落下してしまう危険性がある。暗い中で、観客の姿も見えないであろうから、ここは(観客の)安全性を優先して、うまい方法を考えてもらいたい。これは後に書く、アクシデントを見たので余計にそう思った。

    また、どうでもいいことだが、「銃」ではなく「剣」とか「刀」にしたほうが、演劇的な見栄えがしたし、「血」との相性(笑)も良かったのではないだろうか。
    火薬と弾という疑問も残ってしまうので。

    実はこの公演で、ちょっとしたアクシデントを見た。

    役者が走り込んだ先に女性が座っていて、彼女の顔に役者の頭が激突したのだ。
    「痛い」という小さな声を上げて、女性は顔を押さえ蹲った。
    役者は当然それに気づいたが、ちらりと一瞥しただけで演技を続けた。彼女は顔を押さえたまま、劇場を出て行ったのだ。
    この公演は舞台監督もいないし、劇場内にいるスタッフは音響と照明のみ。彼らは暗いのでたぶん気がつかなかったと思う。観客も気づいた人は少なかったのではないかと思う。
    あのあと一体どうなったのか気になる。公演後のあいさつでもそのことにはまったく触れなかった。
    勢いよくぶつかったようなので、怪我をした可能性もある。
    劇団側の誰かが、フォローしたのだろうか?

    この公演に行った方はご存じだと思うが、役者が観客席を走るところにはラインが引いてあり、開演前に注意が喚起されていた。しかし、ぶつかった女性は後から入ってきたので、その注意を聞いていないと思われる。
    当たり所が悪かったら、顔に傷やアザができている可能性もあり、とても心配で、帰りもモヤモヤした気持ちをぬぐい去ることはできなかった。

    役者はラインの上を走ると言っても、ラインの上だけをまっすぐに走るわけではないので、私がイスに立てかけていたアンケートの厚紙を蹴飛ばされたりもした。たまたま横を向いていたからアンケートを蹴飛ばされたのだが、もしそちらを向いて座っていたら、私は足を蹴られ、役者はひっくり返っていた可能性もある。

    役者には照明が当たっていることもあり、観客がどこにいるのかはわかりにくいだろう。したがって、前記の2階から降りてくるシーンを含め、ラインとイスとの位置など、再度安全点検をしてほしいと思うのだ。

    なお、このアクシデントを知った知人が後に劇団側に確認したところ「出演者のお知り合いだったとのことで、丁重なお詫びをしたそうです」とのことで一応安心した。
    ただ、本来ならば、劇場内にフォローするスタッフがいないのだから、いったん公演は中断するべきではなかったのか、と思う。

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    2012/10/02 03:50

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