GO HOME 公演情報 サスペンデッズ「GO HOME」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    ドラマを越えていくこと。
    親から子への遺伝と、そこに生じる想いを綴った普遍的で良質なドラマであると思います。
    ただ、それ以上でもそれ以下でもないというのが正直なところです。それはこの作品でわたしは生身の人間を感じることができなかったから。

    ネタバレBOX

    上述のとおり、良質なドラマであると思います。ただ、どこまでもドラマ性を越えてこない。そこは血のつながりという意味で良くも悪くも人間の吐息や鼓動があるはず(それは作中で言えば、父親の子どもへの暴力であったり、その原因ともなる飲酒の遺伝性だとか。もっと拡大解釈を許していただけるのであらば、舞台上に延々と血の配合を繰り返してきた人間が立つということをも含めて)にも関わらず、それが情報としては伝わってくるが、曖昧に、非常に粗い描線としてでしか伝ってこない。

    なぜなのか。そこには舞台上の話であるという前提が薄い膜のように各人物を取り巻いているように思えてなりません。その事実を否定するつもりはありませんが、虚構・架空を越えていかない限り、単なるドラマでしかない。たとえば、観客にある人物に感情移入させるなり、「そうですよ、わたしは現在舞台上で演技を行っていますよ」と開きなおるところからはじめてみても。たった一瞬、観客をハッとさせるだけでもいいのですが。

    どうにかしてドラマ性を越えていかない限りは、「いいおはなしを見たな」という観客の客観性を越えていけない。ならばお金も時間もかからないテレビドラマでいいんじゃん? というところに少なくともわたしは行き着いてしまいます。

    大きく捉えれば、現在は客観の時代というのもあると思います。退屈で不安が蔓延る日常の中で、我関せず。人を他者として客観的に眺めるというのがはやっているので。なので想像も出来ないような凶悪犯罪が発生すれば目を背けるではなく、そこに引き込まれてテレビに釘付けという状況も起きる。客観性の枠を破らずにいかに安全地帯で自身を犯されず、でも面白いものを見たい。そんな我が儘を表現者は要求されているわけですから。観客を主体に、ある意味で観客にリスクを負わすようなドラマ作品を見たいし(それはもちろん観客いじりだとか、観客の身に危険を与えるとかそういう意味ではなく)、そうでなければ「なぜ舞台でなければならないのか」という、なんども問われてきたような問いにまたぶつかってしまうので。

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    2012/06/17 17:13

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