満足度★★
愚かすぎる母の造形は何のため?
うーん、こんなにも人生は牢獄めいていたんでしょうか。この物語が何を救うんだろうか? あるいは何を壊したいのか? 誰に見せたい芝居なのかよく分からなかった。エンタメとしては共感に乏しいし、逆に単に無理解な母や家族への恨みを果たしたいのだとも思えないし……?
とにかく主要人物たる母親が、「内助の功」を絶対的な価値として信じる超保守的なジェンダー観の持ち主であるのがキツい。もちろんこの過剰に類型的なキャラクター造形は故意になされたものに違いないが、にしても、まったくそこに厚みがなく、「家庭=主婦=母親」を絶対視するあまり、盲目的で愚かすぎて、まいった。いくらなんでもこれはないと思う。物語が人間賛歌である必要はもちろんなくて、人の醜さを描いたり、時には何かを激しく糾弾したりしてもいいけど、人間やその生きる世界を過度に低く見積もるようなことは、作家としてやってはいけないことだとわたしは思う。作家はなんでも書けてしまうのだから(演劇の台本は、編集者や書評家の厳しい目に晒される小説に比べてチェックが緩すぎるとしばしば思う……)。もちろん「あえて」書いているのは分かる。しかしその「あえて」がどこに向かうのかの倫理的なタガは必要ではないだろうか。
彼女の記憶を呼び起こし、その気持ちを代弁する二匹の猫(?)は、生き生きとしていて愛嬌もあったけれども、ギスギスする空気を和らげるという緩衝材以上の効果は感じられなかった。とにかく彼女たちがいなかったら相当キツかったのは確か。開演前には希望者に猫たちが紅茶を振る舞ってくれるサービスがあり(わたしもいただきました、美味しかったです)、フレンドリーな開演のアナウンスも含めて親近感を抱かせるものになっていた。アトリエ春風舎は地下にあり、ともすれば息苦しい雰囲気も帯びかねない劇場ではあるので、アットホームな空間へと読み換える演出は面白かったと思います。
ただ「劇中で使用する煙草の煙は少なめのもので云々……」というエクスキューズがあるにも関わらず、開演前に主宰者が喫煙所でタバコを吸っていたのは、狙いなのかなんなのか。アトリエ春風舎は構造上、タバコの煙の中を通って劇場に入らざるをえない。あそこでしか吸えないのかもしれないが、あまり気持ちのいい感じはしなかった。穿った見方かもしれないけども、それが一種の反骨精神を示すポーズなのだとしたら、闘う方向を間違っていると思います。(以下、ネタバレボックスに続く)